イスラムのイベリア征服:711年と西ゴート王国の崩壊
711年、北アフリカからイスラム軍がジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島に侵攻しました。西ゴート王国はわずか数年で崩壊し、半島の大部分がイスラム支配下に入ります。この征服は、以後約800年にわたるイスラム勢力の存在とレコンキスタの始まりを告げる出来事でした。
征服の背景
7世紀、イスラム勢力は驚異的な速度で拡大していました。
アラビア半島の統一が完成し、イスラム共同体(ウンマ)が成立しました。
ビザンツ帝国からエジプトを奪取。北アフリカへの進出が始まります。
北アフリカのビザンツ拠点が陥落し、マグリブ全域がイスラム支配下に入りました。
ターリク・イブン・ズィヤード率いる軍がジブラルタルに上陸します。
北アフリカを征服したウマイヤ朝は、次の標的としてイベリア半島を見据えていました。ジブラルタル(「ターリクの山」の意)という地名は、この征服者の名に由来しています。
グアダレーテの戦い
711年7月、ターリクの軍と西ゴート王ロデリックの軍がグアダレーテ川付近で激突しました。
ベルベル人を主力とする約12,000の軍勢。機動力に優れた騎兵を擁していました。
数では優勢とされますが、内紛により結束を欠いていました。王位継承をめぐる対立が尾を引いています。
戦いは西ゴート軍の壊滅的敗北に終わり、ロデリック王は戦死したとされています。この一戦で王国の軍事力は事実上崩壊し、組織的抵抗は不可能になりました。
急速な征服
グアダレーテの勝利後、イスラム軍は驚くべき速さで半島を席巻します。
711年:トレド陥落
713年:セビリア、メリダ占領
714年:サラゴサ、バルセロナ制圧
718年頃:半島のほぼ全域を支配
わずか7年ほどで、イベリア半島の大部分がイスラム支配下に入りました。この急速な征服の背景には、西ゴート王国内部の分裂、都市住民の抵抗意欲の低さ、そしてイスラム側が提示した比較的寛容な降伏条件がありました。
アンダルスの成立
イスラム支配下のイベリア半島は「アル=アンダルス」と呼ばれるようになりました。当初はダマスカスのウマイヤ朝カリフの下、総督が統治する属州でした。
征服地は総督(ワーリー)によって統治され、徴税と治安維持が行われました。既存のヒスパノ・ローマ的な都市構造は概ね維持されます。
キリスト教徒とユダヤ教徒は「啓典の民」(ズィンミー)として、人頭税(ジズヤ)を支払う代わりに信仰と自治を認められました。強制的な改宗は行われていません。
この比較的寛容な政策により、多くのキリスト教徒は改宗することなくイスラム支配下で生活を続けました。彼らは後に「モサラベ」と呼ばれ、独自の文化を発展させていきます。
ピレネーを越えて
イスラム軍の進撃はイベリア半島にとどまりませんでした。彼らはピレネー山脈を越えてガリア(現フランス)にも侵入します。
ガリア南部の重要都市を制圧。フランク王国への脅威が現実化しました。
カール・マルテル率いるフランク軍がイスラム軍を撃退。ヨーロッパ内陸部への進出は阻止されます。
この敗北以降、イスラム勢力はピレネー以南に後退し、イベリア半島の支配に専念するようになりました。
北部の抵抗
征服が進む中、イベリア半島北部の山岳地帯では抵抗が続いていました。アストゥリアス地方に逃れた西ゴート貴族ペラーヨは、722年頃のコバドンガの戦いでイスラム軍に勝利したとされています。
この勝利の規模については議論がありますが、後世のスペイン人はこれをレコンキスタの起点と位置づけました。アストゥリアス王国は、やがてレオン王国、カスティーリャ王国へと発展し、800年にわたる「国土回復」の担い手となっていくのです。
イスラムの征服は、イベリア半島に新たな文明をもたらしました。アラビア語、イスラム建築、科学・哲学の知識が流入し、コルドバやセビリアは地中海世界有数の文化都市へと成長していきます。