スペイン系ハプスブルク家:カール5世からフェリペ2世へ
スペイン系ハプスブルク家は、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに大きな影響を与えた王家であり、カール5世の帝国分割により誕生しました。彼らの統治期は「スペイン黄金世紀」と呼ばれる繁栄をもたらす一方で、長期にわたる戦争と財政難によって衰退を迎えました。
起源と成立
カール5世は神聖ローマ皇帝としてヨーロッパの広大な領土を支配しましたが、その後帝国を分割し、弟フェルディナントにオーストリア系ハプスブルク領を、息子フェリペ2世にスペインとその広大な植民地を与えました。ここから「スペイン系」と「オーストリア系」に分かれることになります。
カール5世の帝国分割
スペイン系とオーストリア系のハプスブルク家に分裂
スペイン黄金世紀
フェリペ2世の時代、スペインは最盛期を迎えました。南米からの銀が流入し、芸術や学問が栄え、エル・グレコやベラスケスといった芸術家が活躍しました。さらにマドリードが首都となり、スペイン王国はヨーロッパの覇権国家としての地位を築きます。
エル・グレコやベラスケスの絵画、セルバンテスの文学が生まれ、黄金世紀と称された。
レパントの海戦(1571年)でオスマン帝国を破り、ヨーロッパにおけるカトリックの守護者としての役割を強めた。
衰退の要因
しかし繁栄の裏側で、度重なる戦争が国力を疲弊させました。ネーデルラント独立戦争、無敵艦隊の敗北、三十年戦争などが相次ぎ、スペインの財政は深刻に悪化しました。また、新大陸からの銀依存も経済を脆弱にしました。
王朝断絶と遺産
最後の王カルロス2世は病弱で後継者を残せず、1700年に没するとスペイン継承戦争が勃発しました。この戦争によりブルボン家が王位を継ぎ、スペイン系ハプスブルク家は断絶しました。
スペイン帝国が最盛期に入る。
イギリス遠征に失敗し、衰退の兆しが現れる。
ネーデルラント独立を承認し、領土縮小。
スペイン系ハプスブルク家断絶、スペイン継承戦争が勃発。
スペイン系ハプスブルク家は、その栄光と没落を通じて、ヨーロッパの歴史に深い足跡を残しました。黄金世紀の文化遺産は今日もスペインの誇りとして受け継がれています。