ハミルトン=ヤコビ方程式(解析力学)
ニュートン力学では運動方程式を直接解いて軌道を求めますが、解析力学にはまったく異なるアプローチが存在します。ハミルトン=ヤコビ方程式は、運動方程式を解く問題を「ある偏微分方程式を解く問題」に置き換えるという、一見遠回りに見えて実は強力な手法を提供します。
正準変換からの動機づけ
ハミルトンの正準方程式は次の形をしています。
この方程式を解くのが難しい理由は、 と が互いに結合しているからです。もし正準変換によって新しい変数 に移ったとき、新しいハミルトニアン がゼロになるような変換が見つかれば、話は劇的に簡単になります。 なら正準方程式は 、 となり、新しい変数はすべて定数になるからです。
このアイデアを別の言い方で表現すると、位相空間で複雑に動き回る系を、自分も一緒に同じリズムで動きながら眺めるようなものです。周りの全員が同じダンスを踊っている渦中に飛び込めば、自分から見て他の全員は静止して見えます。運動の全情報は「どう飛び込んだか」、すなわち正準変換の母関数に詰め込まれるわけです。
正準方程式を連立微分方程式として解く。変数同士が結合していて一般には困難。
新しいハミルトニアンがゼロになる正準変換を求める。偏微分方程式 1 本に帰着する。
この「 にする母関数」を求める方程式こそがハミルトン=ヤコビ方程式です。
ハミルトン=ヤコビ方程式の導出
正準変換の母関数にはいくつかの型がありますが、ここでは旧座標 と新運動量 を独立変数とする第 2 種母関数 を用います。この母関数から旧運動量と新座標が次のように決まります。
また、新旧のハミルトニアンの関係は次の式で与えられます。
いま を要求すると、次の方程式が得られます。
これがハミルトン=ヤコビ方程式(HJ 方程式)です。未知関数 に対する 1 階の偏微分方程式であり、 を で置き換えた形になっている点が特徴的です。この をハミルトンの主関数と呼びます。
完全解と運動の決定
HJ 方程式の「完全解」とは、自由度 の系に対して 個の独立な積分定数 を含む解 のことです。これらの積分定数を新しい運動量 と同一視します。先ほどのダンスの比喩でいえば、 の値を選ぶことは「どの角度・どの速さで群衆の渦に飛び込むか」を決めることに相当し、それによって自分の座標系から見た全員の配置(=運動の全貌)が確定するのです。
完全解が見つかれば、運動は次の手順で完全に決定されます。
HJ 方程式の完全解 を求める
(定数)から を得る
から運動量の時間発展も得る
ここで は初期条件から決まる定数です。連立微分方程式を解く代わりに、偏微分方程式の完全解から代数的な操作だけで軌道が求まるという点が、この手法の威力といえます。
具体例:1 次元調和振動子
ハミルトニアンが次のように与えられる 1 次元調和振動子で、実際に HJ 方程式を解いてみましょう。
ハミルトニアンが時間に陽に依存しないため、 と変数分離できます。ここで は積分定数(エネルギー)、 はハミルトンの特性関数と呼ばれます。HJ 方程式に代入すると、時間微分の項と空間部分が分離されて次の常微分方程式になります。
について解くと、
となります。これを積分すれば が得られます。完全解の手続きに従い、(定数)とおくと、
この積分を実行して について解けば、
が得られます。振幅が の単振動という、よく知られた結果が再現されました。微分方程式を直接解いたのではなく、偏微分方程式の完全解と代数的操作から導いた点が重要です。
等作用面と軌道の幾何学
HJ 方程式は単なる計算技法にとどまらず、力学に幾何学的な描像を与えてくれます。ハミルトンの主関数 について、 となる面を構成空間( 空間)のなかに描いてみましょう。この面を等作用面と呼びます。
運動量は で与えられるため、質点の運動方向は常に等作用面に対して垂直です。つまり、等作用面が「波面」であり、軌道が「光線」であるような描像が自然に現れます。
光線は波面(等位相面)に垂直に進む。波面の伝播をアイコナール方程式が記述する。
質点の軌道は等作用面に垂直に進む。等作用面の伝播を HJ 方程式が記述する。
この類似はまったくの偶然ではありません。ハミルトン自身がもともと光学の研究者であり、光線の理論を力学に移植したのが解析力学の出発点でした。両者の支配方程式を並べてみると、形式的な一致が鮮明に見えてきます。
自由粒子の場合の HJ 方程式(短縮形)は次の通りです。
一方、幾何光学のアイコナール方程式は次の形をしています。
ここで は媒質の屈折率です。どちらも「 の勾配の大きさ」に関する方程式という同一の数学構造を持っています。のちにシュレーディンガーが「粒子も波であるならば、この は波の位相そのものではないか?」と着想し、波動力学を建設するに至った背景には、この光学と力学の深い対応関係がありました。
主関数と作用積分の関係
ハミルトンの主関数 には深い物理的意味があります。HJ 方程式の解を実際の運動の軌道に沿って評価すると、次の関係が成り立ちます。
つまり は作用積分そのものです。最小作用の原理で登場した作用が、ここでは運動方程式の解を生成する母関数として再登場しています。変分原理(ラグランジュ力学)→ 正準方程式(ハミルトン力学)→ HJ 方程式と進むにつれて、「作用」という概念が一貫して中心的な役割を果たしていることがわかります。
時間に依存しない場合と変数分離
ハミルトニアンが時間を陽に含まない保存系では、 という分離が常に可能です。 をハミルトンの特性関数と呼び、これは次の短縮された HJ 方程式を満たします。
時間変数が完全に消えているため、 は座標だけの関数になります。保存系の問題では、まずこの短縮形を解いてから時間依存性を付け加える手順が標準的です。
さらに系が可分(separable)である場合、すなわち各座標ごとに と分解できる場合には、偏微分方程式が常微分方程式の組に帰着し、問題は大幅に簡単になります。中心力問題やケプラー問題、荷電粒子の電磁場中の運動など、対称性の高い系では変数分離が可能であり、HJ 方程式による求解が最も威力を発揮する場面です。
特に周期運動を扱う系では、HJ 方程式の変数分離から自然に作用変数・角変数が導かれ、摂動論や天体力学における長期安定性の解析に不可欠な道具となります。
エネルギーなどの保存量(作用変数 )と一定速度で変化する角度(角変数 )の組に変換することで、周期運動の解析が飛躍的に見通しよくなる手法。
一方で、変数分離ができない系 — たとえばカオス的な挙動を示す系や三体問題など — では、HJ 方程式を解くこと自体が元の運動方程式を数値的に解くよりも困難になります。HJ 方程式は万能ではなく、対称性と変数分離可能性がその有効性を支えている点を認識しておくことが重要です。
各手法の位置づけ
解析力学には複数の定式化があり、それぞれに得意な場面が異なります。
| 手法 | 支配方程式 | 得意な場面 |
|---|---|---|
| ニュートン力学 | 運動方程式(2 階常微分) | 直感的な力の理解、単純な系 |
| ラグランジュ力学 | オイラー=ラグランジュ方程式 | 拘束条件のある系、一般化座標 |
| ハミルトン力学 | 正準方程式(1 階常微分) | 統計力学、保存量の体系的議論 |
| HJ 方程式 | 1 階偏微分方程式 | 変数分離可能な系、量子力学への接続 |
HJ 方程式は解析力学の体系のなかで最も抽象的な定式化ですが、変数分離が可能な系では他のどの手法よりも見通しよく解を与えます。そして何より、古典力学と量子力学の境界を記述する枠組みとして、現代物理学においても中心的な役割を担い続けています。
シュレーディンガー方程式で波動関数を と書いて の極限を取ると、 が満たす方程式はまさに HJ 方程式に一致します。これが WKB 近似の出発点であり、量子力学の古典極限が HJ 方程式で記述されることを意味しています。
ハミルトンが光学から力学を建設し、シュレーディンガーがその逆を辿って波動力学に至った — この往復の歴史は、HJ 方程式が物理学の異なる分野をつなぐ結節点であることを象徴しています。