サルトルは戦後の思想家です。「実存は本質に先立つ」という言葉を残しました。
「今ここにいる自分」を考えると、実はあまり深い意味はない。なにか明確な目的があって生まれたわけじゃない。工場で生産される鉛筆は「人間の書く道具」として、明確な目的とともに生まれて、文房具屋に存在する。しかし人間は違う。
鉛筆
目的があって生産された
人
目的もなく、ただそこに存在している
→自分で目的をつくる
人間はすでに存在している。具体的な目的があるわけでもないし、こうしないといけないという定めもない。人間は自由なのです。自由だからこそ、目的と本質を自分で決めていく。それが生きていくということでもある。
この意味でサルトルは人間の自由を評価しているように見えます。しかし「自由の刑」という言葉も残しています。人間は自由すぎるから、自分の人生を自分で決めていくという重いプレッシャーとともに生きないといけない。
自由
選択できるからこその不安
自分と他者への責任
自由ゆえに、人は自分と他者へ大きな責任をもちます。この責任は「他者からのまなざし」によっても意識されます。
ちなみにサルトルの妻ボーヴォワールも有名な思想家で、男女平等などを主張しました。