波動関数とは何か:量子状態を記述する複素数の世界
量子力学では、粒子の状態は波動関数と呼ばれる数学的対象で記述されます。古典力学では位置と運動量という実数で粒子の状態が決まりますが、量子力学では複素数値の関数が主役となります。なぜ複素数なのか、波動関数とは一体何なのかを探っていきましょう。
古典的な波と量子的な波
まず、古典的な波を思い出してみましょう。水面の波や音波は、実数値の関数 で表されます。ある時刻、ある場所での波の変位は、測定可能な実数として得られます。
ところが、量子力学の波動関数 は複素数値をとります。複素数は実部と虚部を持ち、( は虚数単位)という形をしています。
(実数値)。波の変位そのものが観測量となる。
(複素数値)。波動関数自体は直接観測できない。
複素数が登場する理由は、量子力学の数学的構造に深く根ざしています。シュレーディンガー方程式には虚数単位 が含まれており、実数だけでは方程式を満たす解が得られないのです。
波動関数の数学的性質
波動関数にはいくつかの重要な数学的性質があります。
は各点で複素数の値をとります。振幅 と位相 の両方が物理的意味を持ちます。
を満たす必要があります。これは波動関数が無限遠で十分速く減衰することを意味します。
と規格化されます。これにより確率解釈が可能になります。
波動関数は、数学的にはヒルベルト空間 の元として扱われます。ヒルベルト空間は内積が定義された完備な線形空間で、量子力学の数学的基盤となっています。
複素数の極形式と位相
複素数は極形式でも表すことができます。
ここで は振幅(絶対値)、 は位相です。オイラーの公式 を使えば、複素数が単位円上の回転として理解できます。
位相 は直接観測できませんが、干渉現象を通じて間接的に検出されます。二重スリット実験で現れる干渉縞は、異なる経路を通った波動関数の位相差によって生じるのです。
経路 1 を通る波
経路 2 を通る波
重ね合わせ の干渉
に位相差が反映される
波動関数の重ね合わせ
量子力学の最も特徴的な性質は、重ね合わせの原理です。 と がシュレーディンガー方程式の解であれば、その線形結合 ( は複素数)も解になります。
これは古典力学にはない性質です。古典的な粒子は「位置 A にいる」か「位置 B にいる」かのどちらかですが、量子的な粒子は「位置 A にいる状態と位置 B にいる状態の重ね合わせ」という状態をとることができます。
シュレーディンガーの猫のパラドックスは、この重ね合わせの原理を巨視的な系に適用したときの奇妙さを指摘したものです。猫が「生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ」にあるという帰結は、日常的な直観に反します。
観測によって重ね合わせが一つの状態に「収縮」する過程は、今なお議論の対象となっている。
多粒子系の波動関数
1 粒子の波動関数は でしたが、 粒子系では配位空間上の関数 となります。3 次元空間に 個の粒子がある場合、波動関数は 次元の配位空間上で定義されます。
| 1 粒子(1 次元) | |
| 1 粒子(3 次元) | |
| 2 粒子(1 次元) | |
| 粒子(3 次元) |
多粒子系の波動関数は、一般に各粒子の波動関数の積には分解できません。 となる場合、2 つの粒子は量子もつれ(エンタングルメント)の状態にあると言います。
波動関数は実在するか
波動関数の存在論的地位は、量子力学の解釈をめぐる議論の中心にあります。
一つの立場は、波動関数は系の実在的な性質を表すというものです。この見方では、波動関数は電磁場と同様に物理的実在です。多世界解釈などはこの立場に近いと言えます。
もう一つの立場は、波動関数は観測者の知識や信念を表す道具に過ぎないというものです。コペンハーゲン解釈の一部や量子ベイズ主義はこちらの見方を採用しています。
どちらの解釈を採用しても、実験結果の予測には影響しません。しかし、量子力学が自然について何を語っているのかという理解は、大きく異なってきます。波動関数の正体は、現代物理学においても未解決の深い問題なのです。