角運動量と球面調和関数:量子力学における回転の数学
古典力学では、回転する物体の運動を記述するのに角運動量 を用いる。この量は回転の「勢い」を表し、外力のモーメントがなければ保存される。量子力学でもこの角運動量は中心的な役割を果たすが、その振る舞いは古典的な直感とは大きく異なる。
角運動量演算子の定義
量子力学では、位置と運動量をそれぞれ演算子 に置き換える。角運動量演算子 の各成分は、古典的な定義をそのまま演算子化して得られる。
ここで重要なのは、異なる成分同士が交換しないという事実である。具体的には次の交換関係が成り立つ。
残りの組み合わせも巡回的に同じ構造を持つ。この交換関係こそが量子力学的な角運動量の本質であり、古典力学には存在しない制約を課す。
のすべてを同時に確定値として持てる。回転軸の方向と大きさが完全に決まる。
を同時に確定値として持つことはできない。同時に確定できるのは と一つの成分(慣例で )のみ。
交換関係が意味すること
という関係は、不確定性原理の一般形を通じて を導く。つまり がゼロでない限り、 と を同時に正確に知ることは原理的に不可能である。
一方、角運動量の二乗 はすべての成分と交換する。
したがって と の同時固有状態を選ぶことができ、これが角運動量の量子論の出発点となる。
極座標表示と固有値方程式
角運動量の問題は球座標 で扱うのが自然である。 と は極座標では次のように表される。
の固有値方程式 は簡単に解けて、 を得る。波動関数の一価性()から、 は整数に限られる。これが磁気量子数と呼ばれる量である。
の固有値方程式はもう少し手間がかかるが、結果として固有値は の形を取り、 で という制約がつく。
| 軌道量子数(角運動量の大きさを決める) | |
| 磁気量子数( 成分の値を決める) | |
| の固有値 | |
| の固有値 |
球面調和関数
と の同時固有関数が球面調和関数 である。これは に依存する部分(ルジャンドル陪関数 )と に依存する部分を組み合わせたもので、次の形をしている。
具体的な低次の球面調和関数を見てみよう。
| 0 | 0 | |
| 1 | 0 | |
| 1 |
は球対称で方向依存性がない。 になると や が現れ、特定の方向に偏った分布を持つようになる。化学で言うところの s 軌道()と p 軌道()の形状の違いは、まさにこの球面調和関数の構造に由来している。
球面調和関数の直交完全性
球面調和関数は単位球面上で正規直交完全系をなす。直交性は次の積分で表される。
完全性は、球面上の任意の関数 を球面調和関数で展開できることを意味する。
これはフーリエ級数の球面版にあたる。フーリエ級数が円周上の関数を で展開するのと同じように、球面調和関数は球面上の関数を展開する基底として働く。
この展開は水素原子の問題だけでなく、地球の重力場の記述にも使われている。
人工衛星の軌道計算で地球の重力ポテンシャルを球面調和関数展開する手法。 が大きいほど細かい地形の凹凸を反映する。
角運動量の量子化の物理的意味
古典的には、角運動量ベクトルは任意の方向を向き、任意の大きさを取れる。しかし量子力学では、角運動量の大きさは に、 成分は に量子化される。
ここで注目すべき点がある。 の最大値は だが、角運動量の大きさは であり、常に より大きい。これは と の揺らぎがゼロにならないことを反映しており、角運動量ベクトルが 軸と完全に平行になることは決してない。
と を同時対角化
は不確定で揺らぐ
角運動量ベクトルは 軸まわりに歳差運動するようなイメージ
この描像は「空間量子化」と呼ばれ、シュテルン=ゲルラッハの実験で直接的に確認された。銀原子のビームを不均一磁場中に通すと、古典的には連続的な広がりを見せるはずの軌跡が、離散的な複数本に分裂する。これは角運動量の 成分が飛び飛びの値しか取れないことの実験的証拠にほかならない。
昇降演算子
調和振動子の問題で生成消滅演算子が威力を発揮したように、角運動量にも昇降演算子(はしご演算子)が存在する。
これらは交換関係から次の性質を持つ。
つまり は を 1 だけ上げ、 は 1 だけ下げる。 の値は変えない。 が に達すると となり、 に達すると となって、はしごの端に到達する。
を 1 増やす。 で停止する。
を 1 減らす。 で停止する。
この代数的手法を使えば、微分方程式を一切解くことなく、交換関係だけから角運動量の固有値とその構造をすべて導くことができる。さらにこの手法は軌道角運動量だけでなく、半整数の量子数を許すスピン角運動量にもそのまま適用できるため、角運動量の一般理論への入り口ともなっている。
軌道量子数 のとき、磁気量子数 が取りうる値はいくつあるか?
- 2 個
- 3 個
- 5 個
- 9 個
m は −ℓ から ℓ まで整数で変化するので、m=−2,−1,0,1,2 の 5 個。一般に 2ℓ+1 個の値を取る。