水素原子の厳密解:クーロンポテンシャルを量子力学で解く
量子力学で厳密に解ける現実的な系はごく限られている。井戸型ポテンシャルや調和振動子はあくまで理想化されたモデルだが、水素原子は自然界に実在する系でありながら厳密解を持つ。陽子 1 個と電子 1 個がクーロン力で結びついたこの系は、量子力学の正しさを最も直接的に検証できる対象でもある。
ハミルトニアンと変数分離
水素原子のポテンシャルは、電子と陽子の間のクーロン引力で与えられる。
このポテンシャルは のみに依存し、角度 には依存しない。球対称性を持つため、シュレーディンガー方程式を球座標で書き下すと、動径部分と角度部分に変数分離できる。
角度部分は前の記事で扱った球面調和関数 そのものであり、ここでは動径部分 を決定することが主題となる。
動径方程式
変数分離の結果、動径波動関数 が満たす方程式は次の形になる。
ここで と置き換えている。 の項は遠心力ポテンシャルと呼ばれ、角運動量に由来する有効的な斥力として働く。
遠心力ポテンシャルがゼロで、電子は原点付近にまで存在できる。 となりうる。
遠心力障壁が原点近くで壁を作り、電子を原点から遠ざける。 となる。
エネルギー固有値
束縛状態()の場合、動径方程式を解くと、波動関数が正規化可能になるための条件として主量子数 が自然数であることが要求される。エネルギー固有値は次の式で与えられる。
この に比例するエネルギー準位は、ボーアが 1913 年に半古典的な議論で導いた結果と完全に一致する。しかしボーアの理論では電子が特定の軌道を回ると仮定したのに対し、量子力学では電子の存在は確率分布として記述される点が本質的に異なる。
| 主量子数() | |
| 軌道量子数() | |
| 磁気量子数() |
が から までの値を取れるという制約は、動径方程式の解の正規化条件から自然に出てくるものである。
量子数と縮退
水素原子のエネルギーは のみで決まり、 や には依存しない。これは縮退と呼ばれる現象で、エネルギー に対応する状態の数は次のようになる。
では 1 状態、 では 4 状態、 では 9 状態が同じエネルギーを共有する。
| の範囲 | 縮退度 | |
|---|---|---|
| 1 | 0 | 1 |
| 2 | 0, 1 | 4 |
| 3 | 0, 1, 2 | 9 |
この に関する縮退はクーロンポテンシャルに固有のもので、 という特別な関数形に起因している。他の球対称ポテンシャルでは一般に が異なればエネルギーも異なり、この種の縮退は解ける。古典力学でも ポテンシャルのケプラー問題には隠れた保存量(ルンゲ=レンツベクトル)が存在し、縮退の起源はこの追加の対称性にある。
動径波動関数の構造
動径波動関数 は、ラゲール陪多項式を含む形で表される。
ここで はボーア半径であり、水素原子のサイズを特徴づける長さのスケールとなっている。
ボーア半径は電子のド・ブロイ波長とクーロン力の釣り合いから決まる自然な長さである。
電子の運動量から計算される物質波の波長。原子のサイズがなぜこの程度になるかを説明する鍵となる。
低次の動径波動関数を具体的に書き下すと、(1s 状態)では
となり、原点で最大値を取って指数関数的に減衰する単純な形をしている。(2s 状態)では
と括弧内にゼロ点(節)が現れる。一般に は 個の節を持ち、 が大きくなるほど波動関数の振動が増えて電子雲が外側に広がっていく。
水素原子スペクトルとの対応
エネルギー準位間の遷移で放出・吸収される光の振動数は
で与えられる。 への遷移がライマン系列(紫外線)、 がバルマー系列(可視光)、 がパッシェン系列(赤外線)に対応する。
エネルギー準位 eV
準位間遷移で光子を放出・吸収
離散的なスペクトル線が観測される
19 世紀にバルマーが経験的に見出した公式は、量子力学によって初めて理論的に導出された。水素原子のスペクトルの精密測定と理論予測の一致は、量子力学の正当性を支える最も強力な証拠の一つとなっている。
水素原子の のエネルギー準位に属する量子状態の数はいくつか?
- 3
- 6
- 9
- 12
n=3 では ℓ=0,1,2 が可能で、それぞれ m の自由度が 1,3,5 個。合計 1+3+5=9=n2 個の状態が存在する。