いいねフォロー至上主義が知識層の発言意欲を削ぐ
フォロワーをたくさんもつユーザーの発言や記事がトップページにあらわれる。このフォロワー至上主義で「もう発言しなくていいや。どうせ誰も見ねえし」と諦めた人がどれだけいるだろう。
ほぼすべてのプラットフォームは、今注目されているものがより注目されるようなしくみを整えている。誰のどのコンテンツが長時間人の目にとまるかはプラットフォームによって違う。でも、だいたいはフォロワーとそれまでに獲得した再生回数なりいいね数が大事だ。
古い個人サイトがのさばっていた時代、つまりツイッターが大きくなる前の時代、そういうのはほとんどなかった。でも完全になかったわけじゃない。ブログランキングというのは確かにあった。そういうのを悪用していたものもたぶんあった。
昔はフォロワー概念などなくて、知識をもっている人間がなにかにとりつかれたように、ある種の使命感によってウェブサイトを運営していた。例えばバートランド・ラッセルについてずっと発信しているサイトがあった。
私の記憶違いがなければ、このサイトはロールパイの前身 Irohabook の哲学記事をリンクしていたと思う。私は当時哲学書をめちゃくちゃ読んでいて、それをメモするのに Irohabook すなわちロールパイを使っていた。
他にも数学や物理においてユニークなコンテンツを語っている人はいたが、現在それほど目立っていない。こうした現象を感情的に語ってるわけじゃない。皮肉もなければ虚無もない。現象として考えている。
現在はプラットフォームのフォロワーやチャンネル登録者の数が、知識やユーモアよりもはるかに大きくプロモーションに影響する。プラットフォームのネットワーク効果を強めるこれらシステムは知識のエコシステムに弊害をもたらした。
全部を否定するわけじゃない。いい面もある。でも総合的にデメリットが多すぎる。陰謀論は増えるし、極左も極右も好き勝手に言うようになり、なんやかんやと世界秩序はぼろぼろ。
みんなが女性主権ツイートにいいねするから、あたいもしとこう。みんなが反女性主権ツイートにいいねするから俺も…のくりかえし。相反する思想はより先鋭的になった。フォロワー概念がなかったら、エコーチェンバー空間がなかったら、こんなことにはなかったかもしれない。
プラットフォームは必ず崩壊する。大昔のゲームファンコミュニティからツイッターまで。イーロン・マスクはツイッターつまりXを崩壊から救おうと、より過剰ないいね至上主義、フォロワー至上主義にした。
もううんざりだ!!!!!!
ああああああ!!!
なにがしたいねん!イーロン・マスク。
知識層は名前やフォロワー数によって選別されることを好まない。そしてコンテンツを純粋に判断してほしいと願っている。これは私が過去十年以上にわたって見てきたおおまかな結論。現実はその逆だから、知識層は発言しない。



























