コンラート3世:ホーエンシュタウフェン家最初のドイツ王
コンラート3世(1093年ごろ-1152年)は、ホーエンシュタウフェン家出身の人物で、ドイツ王(1138年-1152年)として即位しました。神聖ローマ帝国の皇帝として正式に戴冠することはありませんでしたが、帝国の統治を担った重要な王です。
即位の経緯
彼はフリードリヒ1世(シュヴァーベン公)の子で、甥にあたるロタール3世の死後、帝位をめぐる争いの中で選出されました。1138年に対立候補のハインリヒ傲慢公(ヴェルフ家)を押さえて王に即位し、ホーエンシュタウフェン家が王権を握るきっかけとなりました。
ヴェルフ家との抗争
コンラート3世の治世で最も大きな課題は、ヴェルフ家との対立でした。ハインリヒ傲慢公との戦いでは一時的に勝利を収めましたが、完全には権力基盤を固めることができず、内乱状態が長く続きました。
ホーエンシュタウフェン家(コンラート3世)
シュヴァーベンを拠点とし、帝国の中心権力を掌握しようとした
ヴェルフ家(ハインリヒ傲慢公)
バイエルン・ザクセンを拠点とし、反王的勢力として抗争を続けた
第二回十字軍への参加
1147年、教皇エウゲニウス3世の呼びかけで第二回十字軍が組織されると、コンラート3世もフランス王ルイ7世と共に参加しました。しかし遠征は失敗に終わり、帰国後には帝国での権威を弱める結果となりました。
晩年と後継
1152年に没した後は、甥であるフリードリヒ1世バルバロッサ(赤髭王)が後を継ぎます。コンラート自身は「皇帝」ではなく「王」にとどまりましたが、彼の治世はホーエンシュタウフェン家の勢力拡大の基礎を築いた時代といえます。