ホーエンシュタウフェン家:皇帝と教皇の対立に揺れた一族
ホーエンシュタウフェン家は、12世紀から13世紀にかけて神聖ローマ帝国の皇帝位を担ったドイツ南西部シュヴァーベン地方の有力貴族の家系です。城の名に由来して「シュタウフェン家」とも呼ばれます。彼らの支配は中世ヨーロッパの政治秩序に大きな影響を与えました。
起源と台頭
家の起源は10世紀頃のシュヴァーベン地方にさかのぼり、11世紀にはシュヴァーベン公を世襲しました。その後、皇帝ハインリヒ4世と対立したザリヤ家に代わって、シュヴァーベンの有力勢力として台頭していきます。
コンラート3世(1138年に即位、ホーエンシュタウフェン家最初のドイツ王)
フリードリヒ1世バルバロッサ(神聖ローマ皇帝として帝国権威を高めた)
フリードリヒ2世(シチリア王国を兼ね、教皇と激しく対立した)
教皇との対立
ホーエンシュタウフェン家の皇帝たちはイタリア政策を推し進め、イタリア都市国家や教皇庁との衝突が避けられませんでした。とくにフリードリヒ1世とフリードリヒ2世は、教皇とたびたび戦火を交え、皇帝権の拡張をめざしました。
皇帝のイタリア遠征
都市国家・教皇の抵抗
皇帝権力の伸張失敗
衰退と滅亡
フリードリヒ2世の死後、その子孫たちは相次いで失脚・戦死し、シチリア王国をも含む支配権を喪失しました。最後の後継者コンラディンは1268年、ナポリ近郊で処刑され、ホーエンシュタウフェン家は断絶しました。