ジェームズタウンとヴァージニア植民地:アメリカ最初の恒久的入植地
1607年、イギリス人入植者たちは現在のヴァージニア州にジェームズタウンを建設しました。これは北アメリカにおけるイギリス最初の恒久的入植地であり、後のアメリカ合衆国の出発点となります。
ヴァージニア会社の設立
16世紀末、イギリスは新大陸への植民を本格化させようとしていました。
ウォルター・ローリーがノースカロライナ沖の島に入植を試みましたが、入植者は謎の失踪を遂げます。「消えた植民地」として知られています。
ジェームズ1世が特許状を与え、株式会社方式での植民事業が始まりました。投資家たちは金銀の発見や貿易利益を期待していました。
ヴァージニア会社はロンドン会社とプリマス会社の2つに分かれており、ジェームズタウンはロンドン会社によって建設されました。
苦難の始まり
1607年5月、約100人の入植者がチェサピーク湾に到着し、ジェームズ川沿いに集落を築きました。
低湿地で蚊が多く、マラリアが蔓延しました。飲料水も汚染されており、病気が絶えませんでした。
多くは金銀探しを夢見る紳士階級で、農作業や建設労働を嫌いました。自給自足に必要な技能を持つ者が不足していたのです。
ポウハタン連合との関係は不安定で、交易と衝突を繰り返しました。
最初の冬を生き延びたのはわずか38人でした。「飢餓の時代」(1609〜1610年)には、人口500人のうち生存者は60人にまで減少します。共食いの記録さえ残されています。
ジョン・スミスの指導
植民地存続の危機を救ったのは、軍人出身のジョン・スミスでした。
紳士たちは労働を拒否し、食料生産よりも金探しに熱中していました。
「働かざる者食うべからず」の原則を導入し、全員に労働を義務付けました。先住民との交渉も担当しています。
スミスと先住民首長ポウハタンの娘ポカホンタスの物語は有名ですが、実際の関係は後世の伝説ほどロマンティックではなかったようです。ポカホンタスは後にイギリス人入植者ジョン・ロルフと結婚し、イギリスに渡りました。
タバコ経済の確立
植民地の運命を変えたのはタバコでした。
西インド諸島産の種子を導入し、本国で人気の高いタバコの生産に成功しました。
タバコはヴァージニアの主要輸出品となり、「茶色い黄金」と呼ばれるほどの利益をもたらしました。
タバコ栽培は労働集約的であり、大量の労働力を必要としました。これが後のプランテーション経済と奴隷制度の発展につながります。
1619年の転換点
1619年は植民地史上重要な年でした。
最初のアフリカ人の到着(奴隷制の始まり)
植民地議会(バージェス議会)の設立
「タバコ花嫁」の到着(女性入植者の増加)
バージェス議会はアメリカ最初の代議制機関であり、植民者による自治の伝統の出発点です。一方、この年に到着した約20人のアフリカ人は、後に制度化される奴隷制の始まりを告げていました。
ポウハタン戦争
入植地の拡大は先住民との対立を激化させました。
食料をめぐる争いから武力衝突に発展。ポカホンタスとロルフの結婚で一時的に和平が成立しました。
ポウハタン連合が入植地を襲撃し、347人が殺害されました。植民地人口の約4分の1が犠牲となります。
再び大規模な襲撃が発生しましたが、入植者側が勝利し、ポウハタン連合は事実上解体されました。
王領植民地への移行
経営難に陥ったヴァージニア会社は、1624年に特許状を取り消されました。
株式会社として投資家の利益を追求。経営は混乱し、入植者の死亡率は極めて高かったです。
国王が直接任命する総督が統治。植民地議会は維持され、自治の伝統は継続しました。
社会構造の形成
17世紀後半、ヴァージニア社会の基本構造が確立しました。
1676年のベーコンの反乱は、辺境の農民と沿岸部のエリートの対立を示す事件でした。この反乱後、支配層はアフリカ系奴隷への依存を強め、白人間の階級対立を人種差別で緩和しようとしました。
ジェームズタウンとヴァージニアの歴史は、アメリカ史の光と影を凝縮しています。代議制民主主義の萌芽と奴隷制の始まり、フロンティア精神と先住民の排除——これらの矛盾は、建国後も長くアメリカ社会を規定し続けることになります。