レーガン革命と新自由主義
1980年代、ロナルド・レーガン大統領は「レーガン革命」と呼ばれる保守主義の復興を主導しました。減税、規制緩和、強硬な反共産主義を掲げた彼の政策は、アメリカ政治の方向性を根本的に変え、その影響は21世紀まで続いています。
レーガンの登場
1980年、アメリカは多くの問題を抱えていました。
高インフレ(約13%)と高失業率の「スタグフレーション」に苦しんでいました。
テヘランのアメリカ大使館で52人の人質が444日間拘束され、カーター政権の無力さが露呈しました。
敗戦と国内分裂のトラウマが残り、アメリカの自信は揺らいでいました。
レーガンは「アメリカの朝」をスローガンに、楽観主義と保守主義を掲げて大統領選に勝利しました。
レーガノミクス
レーガンの経済政策は「レーガノミクス」と呼ばれました。
大幅減税(最高税率70%→28%)
規制緩和
政府支出の抑制(国防費除く)
厳格な金融政策でインフレ抑制
「政府は問題の解決策ではない。政府こそが問題なのだ」という就任演説の言葉は、彼の哲学を象徴しています。
供給側経済学
レーガノミクスの理論的基盤は「サプライサイド経済学」でした。
減税により投資と経済成長が促進され、結果として税収も増加する。富裕層への減税は「トリクルダウン」(滴り落ち)効果で全体に恩恵をもたらす。
「ブードゥー経済学」とジョージ・H・W・ブッシュ(後に副大統領)が批判したように、財政赤字を拡大させました。
経済の回復と格差
1980年代後半、経済は回復しました。
好景気の恩恵は不均等に分配され、富裕層と貧困層の格差が広がりました。
反共産主義と軍拡
外交政策では、レーガンはソ連を「悪の帝国」と呼び、強硬路線を取りました。
国防予算を大幅に増額し、軍の近代化を推進しました。
「スターウォーズ」計画として知られる宇宙ベースのミサイル防衛システムを発表しました。
カリブ海の小国への軍事介入で、ベトナム後遺症からの脱却を印象づけました。
ゴルバチョフとの対話
1985年、ソ連でゴルバチョフが指導者となり、関係は変化しました。
米ソ首脳会談が6年ぶりに再開されました。
核廃絶についても議論されましたが、SDIをめぐり合意に至りませんでした。
中距離核戦力全廃条約に署名。冷戦終結への重要な一歩となりました。
強硬派として始まったレーガンが、最終的には核軍縮を推進したことは歴史の皮肉でした。
イラン・コントラ事件
レーガン政権最大のスキャンダルが発覚しました。
イランに秘密裏に武器を売却し、その収益を議会が禁止していたニカラグアの反共ゲリラ(コントラ)への支援に回していました。
大統領がどこまで知っていたかは不明ですが、政権の信頼は傷つきました。
オリバー・ノース中佐ら複数の補佐官が有罪となりましたが、後に恩赦を受けました。
社会的保守主義
レーガンは社会的保守派とも連携しました。
ジェリー・ファルウェルの「モラル・マジョリティ」など、キリスト教保守派が政治的影響力を持ち始めました。
中絶反対、学校での祈り復活、「家族の価値」を訴えましたが、実際の政策転換は限定的でした。
HIV/AIDS危機
1980年代、エイズが深刻な問題となりましたが、政権の対応は遅れました。
CDCが謎の免疫不全症候群を報告しました。
ハリウッドスターの死で世間の関心が高まりました。
大統領が初めてエイズについて主要な演説を行いましたが、すでに約2万人が死亡した後でした。
この遅延は批判を受け、LGBTQ+コミュニティとの関係に長く影を落としました。
レーガンの遺産
レーガンは1989年に退任し、2004年に死去しました。その評価は分かれます。
冷戦終結への貢献、経済の回復、アメリカの自信の回復、保守主義運動の復興。
財政赤字の拡大、格差の拡大、社会的セーフティネットの弱体化、エイズ対応の遅れ。
新自由主義の時代
レーガン革命は、アメリカだけでなく世界に影響を与えました。
レーガンが確立した保守主義の枠組みは、共和党の基本路線となりました。減税、規制緩和、強い国防という「三本の脚」は、その後の共和党政権にも引き継がれています。彼の支持者にとってはアメリカを復活させた英雄であり、批判者にとっては格差社会の元凶です。いずれにせよ、レーガンが20世紀後半のアメリカ政治を決定的に形作ったことは疑いありません。