9.11同時多発テロとアフガニスタン・イラク戦争
2001年9月11日、アメリカは史上最悪のテロ攻撃を受けました。ハイジャックされた4機の旅客機がニューヨークとワシントンを襲い、約3,000人が命を落としました。この日を境に、アメリカの外交・安全保障政策は根本的に転換し、アフガニスタンとイラクでの長期戦争へと突入していきます。
2001年9月11日
その日の朝、4機の旅客機がハイジャックされました。
ボストン発ロサンゼルス行きの旅客機がワールドトレードセンター北棟に激突しました。
2機目がワールドトレードセンター南棟に激突。世界中がテレビで目撃しました。
ワシントン近郊のペンタゴン(国防総省)に激突しました。
乗客が反撃を試み、ペンシルベニア州の野原に墜落。ホワイトハウスか議事堂が標的だったとされます。
犠牲者
この日、約3,000人が命を落としました。
2,977人が死亡。ビル崩壊により救助に向かった消防士343人、警官72人も含まれます。
184人が死亡しました。
乗員乗客40人全員が死亡しましたが、彼らの行動で標的への攻撃は阻止されました。
90以上の国の市民が犠牲となりました。
アルカイダとビンラディン
テロを実行したのはアルカイダという組織でした。
オサマ・ビンラディンが1988年に創設したイスラム過激派組織。アフガニスタンのタリバン政権下で活動していました。
アメリカの中東政策(イスラエル支援、サウジ駐留など)への反発、イスラム世界の「屈辱」への復讐を掲げていました。
ブッシュ政権の対応
ジョージ・W・ブッシュ大統領は、迅速に対応しました。
「テロリストとそれを匿う者を区別しない」と宣言しました。
議会は武力行使を承認。反対票はわずか1票でした。
「対テロ戦争」を宣言し、「我々の側につくか、テロリストの側につくかだ」と世界に訴えました。
アフガニスタン戦争
2001年10月7日、「不朽の自由」作戦が開始されました。
タリバン政権にビンラディン引き渡しを要求
タリバンが拒否
空爆と特殊部隊投入
北部同盟との連携
12月にタリバン政権崩壊
当初の軍事作戦は成功に見えましたが、ビンラディンは逃亡し、タリバンも完全には壊滅しませんでした。
国内への影響
9.11はアメリカ社会を大きく変えました。
テロ対策を名目に、政府の監視権限が大幅に拡大されました。市民的自由への懸念も生じました。
22の政府機関を統合した巨大省庁が設立されました。
ムスリム系アメリカ人への差別やヘイトクライムが増加しました。
イラク戦争への道
ブッシュ政権は、次の標的をイラクに定めました。
イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指ししました。
イラクが大量破壊兵器を保有しているという主張が展開されましたが、証拠は後に誤りと判明します。
国連決議なしに「有志連合」で侵攻を開始しました。
イラク戦争
フセイン政権は3週間で崩壊しましたが、その後が問題でした。
迅速な勝利、歓迎されての進駐、民主政権樹立、早期撤退を想定していました。
長期化する反乱、宗派対立、イスラム国(ISIS)の台頭、約4,500人のアメリカ兵死亡、数十万人のイラク人死亡。
ビンラディン殺害
2011年、ついにビンラディンが発見されました。
パキスタンのアボタバードで、海軍特殊部隊(シールズ)がビンラディンを殺害しました。
CIA主導の情報活動により、潜伏先が特定されました。
パキスタン政府に事前通告なしの作戦を承認しました。
アフガニスタンからの撤退
アメリカ最長の戦争は、20年後に終わりました。
撤退期限を設定しました。
タリバンが首都を制圧し、アメリカ支援の政府は崩壊しました。
混乱の中で撤退が完了。タリバンが再び政権を握りました。
9.11の遺産
この事件は、21世紀のアメリカを決定的に形作りました。
教訓と問い
9.11とその後の20年は、多くの問いを投げかけています。
アメリカ本土でのさらなる大規模テロは防がれ、アルカイダ指導部は壊滅しました。
数兆ドルの戦費、数千人のアメリカ兵の死、市民的自由の制約、中東の不安定化。
「我々は安全になったのか」「自由を守るために自由を犠牲にしたのではないか」「対テロ戦争に勝利とは何を意味するのか」——これらの問いに対する答えは、今も定まっていません。9.11は、アメリカと世界の歴史に深い傷跡を残した出来事として、今後も語り継がれていくでしょう。