9.11同時多発テロとアフガニスタン・イラク戦争

2001年9月11日、アメリカは史上最悪のテロ攻撃を受けました。ハイジャックされた4機の旅客機がニューヨークとワシントンを襲い、約3,000人が命を落としました。この日を境に、アメリカの外交・安全保障政策は根本的に転換し、アフガニスタンとイラクでの長期戦争へと突入していきます。

2001年9月11日

その日の朝、4機の旅客機がハイジャックされました。

午前8時46分
アメリカン航空11便

ボストン発ロサンゼルス行きの旅客機がワールドトレードセンター北棟に激突しました。

午前9時03分
ユナイテッド航空175便

2機目がワールドトレードセンター南棟に激突。世界中がテレビで目撃しました。

午前9時37分
アメリカン航空77便

ワシントン近郊のペンタゴン(国防総省)に激突しました。

午前10時03分
ユナイテッド航空93便

乗客が反撃を試み、ペンシルベニア州の野原に墜落。ホワイトハウスか議事堂が標的だったとされます。

犠牲者

この日、約3,000人が命を落としました。

ワールドトレードセンター

2,977人が死亡。ビル崩壊により救助に向かった消防士343人、警官72人も含まれます。

ペンタゴン

184人が死亡しました。

93便

乗員乗客40人全員が死亡しましたが、彼らの行動で標的への攻撃は阻止されました。

犠牲者の国籍

90以上の国の市民が犠牲となりました。

アルカイダとビンラディン

テロを実行したのはアルカイダという組織でした。

アルカイダ

オサマ・ビンラディンが1988年に創設したイスラム過激派組織。アフガニスタンのタリバン政権下で活動していました。

動機

アメリカの中東政策(イスラエル支援、サウジ駐留など)への反発、イスラム世界の「屈辱」への復讐を掲げていました。

ブッシュ政権の対応

ジョージ・W・ブッシュ大統領は、迅速に対応しました。

9月11日
大統領声明

「テロリストとそれを匿う者を区別しない」と宣言しました。

9月14日
国歌議決

議会は武力行使を承認。反対票はわずか1票でした。

9月20日
議会演説

「対テロ戦争」を宣言し、「我々の側につくか、テロリストの側につくかだ」と世界に訴えました。

アフガニスタン戦争

2001年10月7日、「不朽の自由」作戦が開始されました。

タリバン政権にビンラディン引き渡しを要求

タリバンが拒否

空爆と特殊部隊投入

北部同盟との連携

12月にタリバン政権崩壊

当初の軍事作戦は成功に見えましたが、ビンラディンは逃亡し、タリバンも完全には壊滅しませんでした。

国内への影響

9.11はアメリカ社会を大きく変えました。

愛国者法

テロ対策を名目に、政府の監視権限が大幅に拡大されました。市民的自由への懸念も生じました。

国土安全保障省

22の政府機関を統合した巨大省庁が設立されました。

イスラム教徒への偏見

ムスリム系アメリカ人への差別やヘイトクライムが増加しました。

イラク戦争への道

ブッシュ政権は、次の標的をイラクに定めました。

2002年1月
「悪の枢軸」演説

イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指ししました。

2002〜2003年
大量破壊兵器をめぐる論争

イラクが大量破壊兵器を保有しているという主張が展開されましたが、証拠は後に誤りと判明します。

2003年3月20日
イラク侵攻

国連決議なしに「有志連合」で侵攻を開始しました。

イラク戦争

フセイン政権は3週間で崩壊しましたが、その後が問題でした。

当初の計画

迅速な勝利、歓迎されての進駐、民主政権樹立、早期撤退を想定していました。

現実

長期化する反乱、宗派対立、イスラム国(ISIS)の台頭、約4,500人のアメリカ兵死亡、数十万人のイラク人死亡。

ビンラディン殺害

2011年、ついにビンラディンが発見されました。

2011年5月2日
急襲作戦

パキスタンのアボタバードで、海軍特殊部隊(シールズ)がビンラディンを殺害しました。

10年の追跡

CIA主導の情報活動により、潜伏先が特定されました。

オバマ大統領の決断

パキスタン政府に事前通告なしの作戦を承認しました。

アフガニスタンからの撤退

アメリカ最長の戦争は、20年後に終わりました。

2020年
トランプ政権がタリバンと合意

撤退期限を設定しました。

2021年8月15日
カブール陥落

タリバンが首都を制圧し、アメリカ支援の政府は崩壊しました。

2021年8月31日
最後のアメリカ軍撤退

混乱の中で撤退が完了。タリバンが再び政権を握りました。

9.11の遺産

この事件は、21世紀のアメリカを決定的に形作りました。

「対テロ戦争」という新たなパラダイム
アフガニスタンとイラクでの長期戦争
市民的自由と安全のバランスをめぐる議論
イスラム世界との関係の複雑化
政府への信頼の低下(大量破壊兵器問題)
帰還兵のPTSD、自殺問題

教訓と問い

9.11とその後の20年は、多くの問いを投げかけています。

達成されたこと

アメリカ本土でのさらなる大規模テロは防がれ、アルカイダ指導部は壊滅しました。

代償

数兆ドルの戦費、数千人のアメリカ兵の死、市民的自由の制約、中東の不安定化。

「我々は安全になったのか」「自由を守るために自由を犠牲にしたのではないか」「対テロ戦争に勝利とは何を意味するのか」——これらの問いに対する答えは、今も定まっていません。9.11は、アメリカと世界の歴史に深い傷跡を残した出来事として、今後も語り継がれていくでしょう。