宰相マザランの死去を機に、ルイ14世が22歳で親政を開始。「私は自分自身の宰相になる」と宣言。
ルイ14世(1638年-1715年)は、フランス王国の君主として72年間という史上最長の在位期間を誇る絶対君主制の象徴的存在です。「太陽王」と呼ばれ、ヨーロッパ政治の中心人物として君臨しました。
絶対王政の確立
ルイ14世は「朕は国家なり」という言葉で知られるように、王の権力が絶対的であることを体現した君主でした。彼は貴族の権力を削ぎ、中央集権的な統治体制を確立することで、フランスを当時のヨーロッパ最強国へと押し上げました。
地方の有力貴族をベルサイユ宮殿に住まわせ、宮廷生活に専念させることで政治的影響力を削減。官僚制度を整備し、王の直接統治を実現した。
1685年にナントの勅令を廃止し、プロテスタントの信仰を禁止。カトリック信仰の統一を図り、「一つの王、一つの法、一つの信仰」を掲げた。
財務総監コルベールのもと、重商主義政策を推進。国内産業の保護育成と植民地貿易の拡大により、国富の増大を図った。
ベルサイユ宮殿と宮廷文化
ルイ14世は父ルイ13世の狩猟館を大幅に拡張し、世界最大級の宮殿であるベルサイユ宮殿を建設しました。
1682年に正式な王宮となり、約3万6千人が居住する巨大な宮廷都市。
ベルサイユ宮殿は単なる王の居住地ではなく、絶対王政の権威を示す政治的装置として機能しました。厳格な宮廷儀礼により、王の神聖性と権威を演出し、貴族たちを政治から遠ざけて宮廷生活に没頭させる仕組みを作り上げたのです。
スペイン領ネーデルラントへの侵攻を開始。ヨーロッパ諸国との本格的な対立が始まる。
パリからベルサイユ宮殿に宮廷を移転。絶対王政の象徴的な居住空間が完成。
プロテスタントの信仰を禁止し、約20万人のユグノーが国外に脱出。経済的損失も大きかった。
孫のフィリップをスペイン王に即位させ、ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争に発展。
文化的貢献と芸術保護
ルイ14世治世下のフランスは、ヨーロッパ文化の中心地として栄華を極めました。
モリエール、ラシーヌ、コルネイユなどの劇作家が活躍し、フランス古典主義演劇の黄金時代を築いた
リュリによるフランス・オペラの確立、バロック音楽の繁栄、宮廷バレエの発達により、総合芸術が花開いた
軍事的拡張と外交政策
ルイ14世の治世は戦争の連続でもありました。フランスの領土拡大と国際的地位向上を目指し、生涯にわたってヨーロッパ各国と戦い続けました。
ネーデルラント継承戦争(1667-68)でフランドル地方を獲得
オランダ戦争(1672-78)でフランシュ=コンテを併合
アウクスブルク同盟戦争(1688-97)でヨーロッパ包囲網と対峙
スペイン継承戦争(1701-14)で孫のスペイン王位継承を実現
統治の光と影
ルイ14世の絶対王政は確かにフランスの国際的地位を押し上げましたが、同時に深刻な問題も生み出しました。
| 軍事費 | 国家予算の約80%を占める過重な負担 |
| 宮廷費 | ベルサイユ宮殿の維持に莫大な費用 |
| 宗教政策 | ユグノー追放による経済的・人的損失 |
| 戦争 | 継続的な軍事行動による国力消耗 |
| 課税 | 第三身分への過重な税負担 |
特に晩年のスペイン継承戦争は国家財政を破綻寸前まで追い込み、この財政危機は後のフランス革命の遠因ともなりました。1715年の死去時、フランスは文化的には頂点にありながら、財政的には深刻な危機に直面していたのです。