共役転置(随伴行列)とは|性質や積の公式の証明をわかりやすく解説
共役転置は、行列 の転置を取ってから各成分の複素共役を取った行列で、 または と書きます。随伴行列やエルミート共役とも呼ばれます。実数成分の行列では複素共役が何もしないので、共役転置は単なる転置 と一致します。転置が行と列を入れ替える実数世界の操作だったのに対し、共役転置は複素数の世界でその役目を引き継ぎ、内積・ノルム・随伴作用素といった線型代数の核心を背負う演算になります。
定義と具体例
の 成分を とすると、共役転置 の 成分は、 の 成分の複素共役 です。行と列を入れ替え、さらにすべての成分を複素共役にする、という二段構えの操作です。具体的な行列で見てみます。
まず転置して行と列を入れ替え、続いて各成分を複素共役にすると、次の行列が得られます。
対角成分 と は、位置は変わらずに複素共役だけを取られて 、 になり、非対角の と は入れ替わったうえで共役され、 は 、 は実数なので値はそのままです。実数成分が動くのは位置だけ、という点に注意すると、二つの操作の役割がはっきりします。
基本的な性質
共役転置には、次の基本性質があります。
三つ目で は複素数、 はその複素共役です。スカラーを外に出すときに共役が付くのが、転置との違いです。四つ目では積の順序が入れ替わる点に注意が必要で、これは転置 と同じ現象です。以下、これらを順に証明します。
転置・和・スカラー倍の証明
最初の三つは、成分を追うだけで確かめられます。 は、共役転置を二回行うと行と列の入れ替えが元に戻り、複素共役も二回で元に戻ることから従います。成分で書けば です。
和については、 の 成分が となり、これは に等しくなります。複素共役が和を保つことが、そのまま効いています。スカラー倍も同様で、 の 成分は です。共役が積を分けるときにスカラー も共役され、 に一致します。
積の公式の証明
四つ目の が、いちばん証明しがいがあります。 を 行列、 を 行列とします。 の 成分は、定義から の 成分の複素共役です。
複素共役が和と積を保つので、シグマの中へ入って各因子に分配されます。いっぽう の 成分を計算すると、次のようになります。
二つの式は、積の順序が違うだけで各項は同じ複素数の積なので、完全に一致します。したがって が成り立ちます。順序が逆転するのは、行列の積では左の行と右の列が対応するため、転置的な操作で両者の立場が入れ替わるからです。
積の公式を数値で確かめる
抽象的な証明を、実際の行列で裏づけてみます。次の二つの行列を取ります。
まず積を計算すると、 に注意して次のようになります。
いっぽう、それぞれの共役転置は次のとおりです。
これらを、順序を逆にして の順で掛けます。
確かに と完全に一致しました。もし順序を変えずに を計算すると別の行列になってしまうので、順序の逆転が本質的だとわかります。
行列式・トレース・階数
共役転置は、行列の基本的な量とも整合します。まず行列式は、共役を取ったものになります。転置が行列式を変えず、各成分の共役が行列式全体の共役を生むので、 です。定義の節の行列 では 、 となり、確かに複素共役の関係にあります。
トレースも同様で、対角成分がそれぞれ共役されるので です。同じ なら 、 になります。階数については、共役も転置も一次独立性を保つので が成り立ちます。行の一次関係と列の一次関係が入れ替わるだけで、独立な本数は変わらないからです。
逆行列との関係
が正則なら、逆行列と共役転置は順序を交換でき、 が成り立ちます。これは積の公式から一行で出ます。 の両辺に共役転置を取ると、 より次のようになります。
単位行列は共役転置しても のままです。この式は が の逆行列であることを意味するので、 が従います。共役転置と逆行列は、どちらを先に施しても同じ結果になる、というわけです。
共役転置で分類される行列
共役転置と自分自身との関係で、重要な行列のクラスが定まります。
を満たします。対角成分は実数で、固有値もすべて実数です。実行列では対称行列にあたります。
を満たします。対角成分は純虚数または で、固有値は純虚数です。 がエルミートなら は歪エルミートになります。
を満たします。列ベクトルが正規直交をなし、固有値の絶対値はすべて です。実行列では直交行列にあたります。
を満たします。上の三つをすべて含み、ユニタリ行列で対角化できる行列の全体と一致します。
いちばん広いのが正規行列で、エルミート・歪エルミート・ユニタリはどれもその特別な場合です。正規行列であることと、ユニタリ行列で対角化できることが同値になる、というのがスペクトル定理の主張です。
ユニタリ行列とエルミート行列
とくによく使われるユニタリ行列とエルミート行列を、並べて見ておきます。
を満たします。内積とノルムを保つ変換で、実数の場合は回転や鏡映などの直交変換にあたります。固有値の絶対値はすべて です。
を満たします。固有値はすべて実数で、異なる固有値の固有ベクトルは直交します。実数の場合は対称行列にあたります。
具体例も豊富です。パウリ行列 は、エルミートかつユニタリという珍しい両刀で、二乗すると単位行列に戻ります。実二次元の回転行列はユニタリ(直交)行列の代表です。次のアダマール行列もユニタリで、量子計算で重ね合わせを作る基本ゲートになっています。
離散フーリエ変換を表す行列 もユニタリです。エルミート行列は量子力学で観測量を、ユニタリ行列は時間発展を表すという役割分担も、この二つが実数の対称行列と直交行列を複素数へ引き継いだものだと思えば腑に落ちます。
理解の確認
行列の積 の共役転置 は、次のどれに等しいでしょうか。
- 。共役転置は各因子にそのまま分配される
- 。共役転置は積の順序を逆転させる
- 。各成分を共役するだけでよい
内積と随伴作用素
共役転置がなぜこれほど中心的なのかは、内積との関係を見るとわかります。複素ベクトル空間では、ベクトル の内積が共役転置で書けます。
この表し方のもとで、行列 を左のベクトルに作用させたものは、 を右のベクトルに作用させたものへ移せます。
途中で使ったのは、まさに積の公式 です。この等式によって、 は の随伴作用素と呼ばれます。行列の共役転置という成分レベルの操作が、内積を通した抽象的な随伴の概念とぴたりと一致するわけです。
ノルムと A*A
内積から自然にノルムが定まり、そこにも が顔を出します。ベクトルのノルムは で、行列 を掛けた像のノルムは次のように変形できます。
左辺は長さの二乗なのでつねに 以上であり、これはどんな に対しても が成り立つこと、すなわち が半正定値なエルミート行列であることを意味します。実際 よりエルミートで、上の不等式から固有値はすべて 以上です。ベクトルの組 を列にもつ行列 に対する は、成分が内積 になるグラム行列で、これも同じ理由で半正定値になります。
最小二乗法への応用
の半正定値性は、応用でそのまま効いてきます。連立方程式 が厳密には解けないとき、残差 を最小にする を探すのが最小二乗法です。残差が最小になる点では、誤差ベクトル が の列空間と直交する必要があり、その直交条件が共役転置で書けます。
この を正規方程式といい、 の列が一次独立なら は正則で、解が一意に定まります。データ回帰から信号処理まで、過剰な条件を最小の誤差で満たす問題は、この共役転置を含む一本の方程式に帰着します。
特異値分解への入り口
は、行列のもっとも強力な分解である特異値分解の出発点でもあります。任意の 行列 に対して は半正定値エルミートなので、固有値はすべて 以上の実数です。その平方根 を の特異値と呼びます。
これを使うと、任意の行列がユニタリ行列 と対角行列 によって分解できます。
の対角成分が特異値で、 の列は の固有ベクトル、 の列は の固有ベクトルです。ここでも と が同じ非零固有値をもつという事実が効いていて、共役転置なしにはこの分解は組み立ちません。画像圧縮・主成分分析・擬似逆行列など、現代のデータ解析の土台にある特異値分解は、突き詰めれば共役転置と の性質の上に立っているのです。














共役転置は転置と同じく、積の順序を逆転させて (AB)∗=B∗A∗ となります。行列の積では左の行と右の列が対応するため、転置的な操作で両者の立場が入れ替わるのが理由です。順序をそのままにした A∗B∗ は、一般には (AB)∗ と一致しません。