ギブスのパラドックス

同じ気体を混ぜても、何も起こらない

箱を仕切りで 2 つに分け、両側に同じ種類の気体を、同じ温度、同じ密度で入れます。そこで仕切りを外します。図のように、粒子は左右を行き来して混ざります。

では、何が変わったでしょうか。温度も密度も圧力も、外から測れるものは何も変わっていません。もう一度仕切りを入れれば、元の状態と見分けがつきません。もしエントロピーが増えていたなら、仕切りを入れ直したときに孤立系のエントロピーが減ったことになり、熱力学第二法則に反します。ですから、エントロピーは増えていないはずです。

ところが、ボルツマンの関係式の記事と同じやり方で数えると、エントロピーが増えてしまいます。片側に N 個ずつ入っているとすると、どの粒子も動ける場所が 2 倍になるので、片側あたり Nk \log 2、両側を合わせて 2Nk \log 2 だけ増えることになります。図の下の \Delta S = 2Nk \log 2 がこの値で、\Delta S はエントロピーの変化を表します。

このように、増えないはずのエントロピーが計算では増えてしまう食い違いを、ギブスのパラドックスといいます。

違う気体なら、確かに増える

同じ計算が正しい答えを出す場合もあります。両側に違う種類の気体を入れたときです。違う気体どうしは、混ざると元には戻りません。仕切りを入れ直しても、両側とも 2 種類の気体が半分ずつ混ざった気体になるだけです。

元のように分けるには、外から仕事をする必要があります。たとえば、片方の気体だけを通す膜を使って押し分けます。このときのエントロピーの増加 2Nk \log 2 を混合エントロピーといい、実験でも確かめられています。

図の上は同じ気体どうし、下は違う気体どうしを混ぜたもので、下は粒子の色を分けてあります。右に書いた \Delta S が、それぞれのエントロピーの変化です。図はくり返し見せるために元の配置に戻していますが、違う気体は実際にはこのように自然に分かれません。

上と下で、粒子の動きはまったく同じです。違うのは、混ざったあとに粒子を見分けられるかどうかだけです。それなのに同じ答えを出してしまうのなら、間違っているのは数え方のほうです。

粒子に番号を付けて数えていた

どこで間違えたのかを見ていきます。これまで状態を数えるときには、粒子の一つひとつがどこにいるかを決めたものを、1 つの状態と数えてきました。最初の記事で、同じ「左に 2 個」でも、どの粒子が左にいるかが違えば別の状態だと数えたところです。

これは、粒子の一つひとつに番号が付いていて、見分けられるとみなした数え方です。図の上の列は、3 個の粒子を色で見分けたときの並べ方で、3! = 3 \times 2 \times 1 = 6 通りあり、順に入れ替わっていきます。下の列は粒子を見分けられないときで、どの並べ方も同じに見えるので、1 通りしかありません。

同じ種類の粒子には、番号を付けて見分ける手段がありません。2 つの粒子を入れ替えても、入れ替える前と区別できないのです。ですから番号を付けた数え方は、N 個の粒子の並べ方 N! 通りを別々の状態として数えていて、N! 倍だけ多く数えています。違う気体を混ぜたときに答えが合っていたのは、2 種類の気体の粒子どうしは本当に見分けられるからです。

状態数を N! で割る

直し方は簡単です。N! 倍だけ多く数えていたので、状態数 W を N! で割ります。

図の 1 行目と 2 行目は、番号を付けて数えたときです。粒子 1 個の居場所の数は体積 V に比例するので、N 個では W が V^N に比例し、エントロピーには Nk \log V が入ります。\cdots は、エネルギーなど、体積に関係しない部分です。

3 行目で W を N! で割ると、エントロピーから k \log N! が引かれます。スターリングの近似 \log N! \simeq N \log N - N を使うと、Nk \log V - Nk \log N = Nk \log \dfrac{V}{N} となります。4 行目のように、体積が粒子 1 個あたりの体積 \dfrac{V}{N} の形に変わりました。残りの Nk は \cdots に含めています。

これで矛盾がなくなります。同じ気体の場合、仕切りを外す前は片側ごとに体積 \dfrac{V}{2} に N 個、外したあとは体積 V に 2N 個です。1 個あたりの体積はどちらも \dfrac{V}{2N} で変わらないので、エントロピーの変化は 0 です。違う気体の場合は、気体ごとに 1 個あたりの体積が 2 倍になるので、2Nk \log 2 だけ増えます。

ザックア・テトローデの式

N! で割ったうえで、単原子分子の理想気体のエントロピーをすべて書くと、図の上の 3 行のようになります。これをザックア・テトローデの式といいます。m は分子 1 個の質量、E は気体全体のエネルギーです。

体積もエネルギーも、\dfrac{V}{N} と \dfrac{E}{N} という粒子 1 個あたりの形でしか出てきません。そのため最後の行のように、体積、粒子の数、エネルギーをすべて 2 倍にすると、エントロピーもちょうど 2 倍になります。エントロピーが足し算の量になっている、ということです。

式の 2 行目にプランク定数 h が入っていることにも注意してください。古典力学で気体を数えているのに、状態数の記事で見たように、位相空間を区切る升目の大きさには量子力学の h を使っています。N! で割ることも、もとをたどれば、同じ種類の粒子は区別できないという量子力学の性質から来ています。

状態の数え方は、これでそろいました。次の章では、エネルギーを決めるかわりに、温度が決まっている系を考えます。

確率と多数
ミクロカノニカル分布
カノニカル分布
応用
相転移
量子統計
時間とゆらぎ