気体の粒子は互いにぶつかります。ぶつかると、2 つの速度が別の 2 つに入れ替わります。運動量も全体のエネルギーも変わりませんが、速度の組み合わせは変わります。
図がその 1 回です。ぶつかる前と後で、矢印の向きと長さが入れ替わっています。この入れ替わりが積み重なって、速度の分布が変わっていきます。
1 回の衝突は、時間を逆に回しても衝突です。力学の法則には何も反しません。それなのに、たくさん集めると戻らなくなります。この項目は、その落差がどこから来るのかという話です。
ボルツマンは、速度の分布 f(v) から 1 つの数を作りました。H = \int f\log f\,dv です。分布の形を、数 1 つにまとめたものです。
図の上が分布、下が f\log f です。分布が 1 か所に尖っているほど H は大きく、広がって平らなほど小さくなります。
符号を変えれば、これはエントロピーです。S = -kH。「ばらつきの度合いをエントロピーにする」で見た -k\sum p\log p を、連続な速度について書き直しただけのものです。
ここで仮定を 1 つ置きます。ぶつかる直前の 2 つの速度は、互いに無関係である。これを分子的混沌の仮定といいます。この項目でいちばん大事なのは、実はこの 1 行です。
この仮定のもとで衝突を数えると、H は時間とともに決して増えません。図の曲線がそれで、下がりきったところで止まります。これが H 定理です。
S = -kH なので、これはエントロピーが増え続けるということです。熱力学の第二法則が、衝突を数えることから出てきました。ここまでは、たいへんうまくいっています。
H が下がりきったところでは、分布はもう変わりません。そのときの形がマクスウェル分布です。「理想気体を数え上げる」で出したものと同じ形が、ここでは行き先として出てきます。
図がその移り変わりです。はじめは 2 つの山に分かれていますが、衝突を重ねるうちに 1 つの山へまとまります。粒子の数も全体のエネルギーも変わらないまま、形だけが変わります。
行き着く先が 1 つに決まるのは、その 2 つを保ったまま H をいちばん小さくする形が 1 つしかないからです。知っていることだけを課して、残りはいちばん平らにする。これは最大エントロピー原理とまったく同じ筋道です。
ところが困ったことがあります。ある時点ですべての速度を逆向きにすれば、系はもと来た道をそのまま戻ります。そのあいだ H は増えるはずです。力学は逆に回しても成り立つのに、H 定理は片方向しか許しません。
抜け道は、分子的混沌の仮定にあります。逆向きにした直後の速度は、互いに無関係ではありません。前の衝突の跡が、速度どうしの結びつきとしてそこに残っています。仮定が成り立つのは、その跡を無視できるときだけです。
図の左が細かく見たとき、右がひとまとまりごとに均したときです。細かく見れば、占めている面積は最初のままで、糸のように引き伸ばされているだけです。均せば、全体に広がったように見えます。増えたのは、均したあとのエントロピーです。第二法則は、どこまで細かく見るかを決めたうえで初めて言える法則でした。