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球面は梳かせない|座標環と射影加群

球面を方程式で書き、そこに住む多項式関数を全部集めると環になります。

これが 次元球面 の座標環です。図形の性質は、この環の性質としてそのまま読み直せる。

球面が特別なのは、その読み直しが途中で予想を裏切るところにあります。滑らかで、次元も素直で、それでも「基底がとれない」加群が出てくる。

座標環が覚えていること

は球面の上の関数です。 変数の多項式のうち、球面の上で同じ値をとるものを同一視した環が になる。

で割るのは、その同一視そのもの。球面の上では が同じ関数になる。

上で既約なので、 は整域です。分数体をとれば、球面の上の有理関数体が出る。

次元は 2

変数の多項式環のクルル次元は です。 つの方程式で切ると次元は 落ちる。

面としての次元と一致する。クルルの標高定理が保証する落ち方が、そのまま出た形。

特異点はない

ヤコビ判定法を当てます。 の勾配は

球面の上では なので、 成分が同時に になる点はありません。勾配が消えないので、どの点でも局所環は正則になる。

つまり球面はどこも滑らかです。特異点を持つ図形にありがちな困りごとは、ここでは起きない。

梳かせないという事実

滑らかで整域で 次元。素直な環に見えます。それでも球面には、位相の側から来る制約が残る。

偶数次元の球面では、連続な接ベクトル場が必ずどこかで になります[1,2,3]。毛玉定理と呼ばれる結果。

ブラウワーが 年に示しました[1,2,3]。ドイツ語では針ねずみの定理と呼ばれ、「連続に梳かれた針ねずみには必ずはげが つある」と言われる[2]

奇数次元の球面では成り立ちません[1,3] には、消えない接ベクトル場がある。

接ベクトル場を環の言葉で書く

球面の上の接ベクトル場は、 つの多項式関数の組 で、法線と直交するものです。法線方向は なので、条件は次のようになる。

そこで で定め、その核を と置きます。 が接ベクトル場全体にあたる 加群になる。

P は安定的に自由

この写像は全射です。 に対して を送れば、 が出るため。

しかも切断がある。いま作った がそれで、合成すると恒等写像になる。

したがって の直和に分かれます。

本ぶんの は法線方向です。加群 に自由加群を足して自由になるとき、 を安定的に自由と呼ぶ[5] はまさにその形。

直和因子なので は射影加群です。有限生成でもある。

それでも自由ではない

が自由だと仮定します。階数は から を引いて なので、 となるはず。

すると に基底が 本とれる。基底は球面のどの点でも 次独立なので、そのうち 本だけを見れば、どこでも にならない接ベクトル場が作れる。

毛玉定理がそれを禁じている[1,3]。したがって は自由ではありません。

安定的に自由なのに自由でない加群の、いちばん見やすい例になる[5] を足せば自由になるのに、 単体では基底が組めない。

セール・スワンの対応

ベクトル束と射影加群が対応する、という定理があります[4]。コンパクト空間 の上の有限階数の実ベクトル束の圏と、 上の有限生成射影加群の圏が同値になる[4]

セールが 年に代数の側を、スワンが 年に解析と位相の側を示しました[4]

この対応があるので、接束が自明かどうかという幾何の問いが、 が自由かどうかという環の問いに翻訳される。毛玉定理がそのまま代数の結論として効いてくる。

セール予想との距離

多項式環の上では事情が違います。有限生成射影加群はすべて自由になる。これがクィレン・ススリンの定理です[6]

セールが 年に問いとして立て、 年にクィレンとススリンが独立に解きました[6]。セール自身は 年に、そうした加群が安定的に自由であることまで示している[6]

球面の座標環は多項式環ではありません。だから、この定理の傘の外にある。

は多項式環の剰余環で、しかも正則です。それでも「射影なら自由」までは言えない。この差が、球面の位相を映している。

円周では一意分解が壊れる

次元を 下げて円周を見る。座標環は です。

の元は と一意に書けます。共役をとって掛けると、 に値をとるノルムが定まる。

は積を保ちます。 なら の最高次の係数は同符号にならず、打ち消し合わない。

そのため の次数はつねに偶数で、 なら 以上になる。 が定数になるのは かつ が定数のときだけで、 の単元は でない実数だけです。

二通りに分解できてしまう

で次数は と分けると の次数の和が になる。

単元でない元のノルムは次数 以上なので、 の両方が単元でないことはありえない。したがって は既約です。

同じ議論で も既約になる。どちらもノルムの次数が

ところが円周の上では が成り立ちます。

左右で既約元の顔ぶれが違う。 の実数倍ではないので、同伴でもない。 は一意分解整域ではありません。

複素数まで広げると直る

同じ円周を 上で考えます。 と置くと

から復元できるので、環はローラン多項式環になる。

は単項イデアル整域で、その局所化なので一意分解整域です。実数の上で壊れていた分解が、複素数まで広げると直る。

さきほどの も、 の上では の言葉でさらに分解して、食い違いが消えます。

実点と複素点

は代数閉体ではないので、極大イデアルと実点が一対一には対応しません。剰余体が になる極大イデアルも の中にある。

球面のように実点が豊富な場合でも、この差は消えない。代数の側は複素点まで見ており、幾何の直感は実点だけを見ています。

で定めた環を考えれば差がはっきりする。実点は つもないのに、環は零環になりません。

よくある誤り

滑らかで正則な環なら射影加群が自由になる、とはなりません。球面の接ベクトル場が反例です。
毛玉定理はどの球面でも成り立つわけではありません。偶数次元に限った話です。
から を導けません。直和の相手を消せるとは限りません。
クィレン・ススリンの定理を球面の座標環に当てられません。多項式環についての定理です。
円周の座標環を一意分解整域だと思うと外します。 が食い違いを与えます。
実数体の上でも極大イデアルが実点だと考えると外します。剰余体が になるものもあります。
座標環の次元が だと考えると外します。 つの方程式で切ったぶん、 に落ちています。

参考文献

Hairy ball theorem(英語版 Wikipedia)
Satz vom Igel(ドイツ語版 Wikipedia)
Théorème de la boule chevelue(フランス語版 Wikipedia)
Serre–Swan theorem(英語版 Wikipedia)
Stably free module(英語版 Wikipedia)
Quillen–Suslin theorem(英語版 Wikipedia)
球面を方程式で書いて多項式関数を集めると座標環が出ます。次元は 2、特異点もなく、環としては素直に見える。それでも接ベクトル場のなす加群は、自由加群を 1 本足せば自由になるのに、自身は基底を持ちません。毛玉定理が環の言葉へ翻訳される様子を追い、セール・スワンの対応とクィレン・ススリンの定理との距離、そして円周では一意分解が壊れることまで。