多様体の定義はチャートとアトラスで決まる
多様体は、近くで見るとユークリッド空間に見える空間です。全体としてどんな形でも、小さく切り取れば平らな地図に写せます。
作り方も貼り合わせそのもの。地図を何枚も用意し、重なる部分で辻褄が合うようにつなぎます。
定義は 3 つの条件
位相空間 が次の 3 つをみたすとき、 次元位相多様体と呼びます[1]。
3 番目が主役で、残りの 2 つは病的な例を排除するための条件です。フランスの講義録も、第二可算性を可算な稠密部分集合の存在と言いかえたうえで、同じ 2 条件を先に置いています[2]。
第二可算性は、可算な稠密集合が存在することと同値です[2]。 における がその例。
地図と地図帳
局所ユークリッドという条件を、道具として書き直します。
の開集合 と同相写像 の組 を地図と呼びます[1]。 が地図の定義域、 が座標関数です[2]。
地図の集まり が 全体を覆うとき、これを地図帳と呼びます[1]。
点 の座標は です[2]。番地を振る操作だと思えばよく、番地の振り方は 1 通りではありません。
これが立体射影です。円周の点を北極から見て、直線の上へ落とします。
球面の地図帳
同じことを 次元でやります。北極 を除いた部分から への写像は、次の形です[1]。
逆写像も書けます[1]。
両方とも連続なので同相です。南極についても、分母の を に替えれば同じものが作れます[1]。
2 枚で球面全体を覆えました。1 枚では足りません。球面はコンパクトなので、 と同相にはならないためです。
重なりで辻褄を合わせる
2 枚の地図が重なる領域では、同じ点に 2 組の座標が付きます。 と について、次の合成を座標変換と呼びます[1]。
これは の開集合の間の写像です。多様体の話が、ここで解析の話に降りてきます[3]。
2 枚の地図が両立するとは、座標変換が微分同相であることです[2]。互いに で、逆写像も 。
地図帳のどの 2 枚も両立するとき、それを滑らかな地図帳といいます[2]。この条件が付いて初めて、微分という言葉が多様体の上で意味を持ちます。
上の 1 点が、下の 2 枚に別々の番地で写ります。この 2 つの番地の関係が座標変換。
次元は勝手に決まらない
地図ごとに次元を変えてよいのか、という疑問が出ます。答えは、重なりがあれば同じ次元になる、です[2]。
と の両方が微分同相なら、微分が同型写像になります。 と の間に線形同型があるので [2]。
連結な多様体なら、次元は全体で 1 つに決まります。地図の選び方によらない量なので、多様体の不変量として扱えます。
地図帳は 1 つに決まらない
同じ多様体に、地図帳はいくらでも作れます。球面なら立体射影の 2 枚でもよいし、経度と緯度で細かく割ってもよい。
2 つの地図帳の和集合がまた地図帳になるとき、その 2 つは同値だといいます[2]。同値な地図帳は、同じ滑らかな構造を定めます。
同値なものをすべて集めると、極大な地図帳がただ 1 つできます。滑らかな構造とは、この極大地図帳のことだと考えます。それが標準的な立場です。
こう定めておくと、どの地図を使うかで議論が変わりません。地図はあくまで計算の道具で、多様体そのものではない、という立場が保てます。
滑らかな写像
多様体の間の写像も、地図を通して定義します。 が滑らかだとは、地図で見た が になることです。
これは の開集合から への写像なので、解析の言葉で判定できます。
地図の選び方によらない点が肝心です。別の地図に取り替えても、座標変換が なので合成はやはり 。両立という条件が、ここで効いてきます。
が全単射で、 と の両方が滑らかなとき、 を微分同相といいます。微分同相な 2 つの多様体は、多様体としては同じものと見なします。
部分多様体
大きな多様体の中に、小さな多様体が入っていることがあります。
の部分集合 が、 の地図でうまく見ると の形に見えるとき、 を部分多様体と呼びます。座標のうち後ろの 個が になる、という見え方です。
作り方でいちばん多いのは方程式の解集合です。滑らかな関数の正則値の逆像は部分多様体になります。
球面 もその例で、 の値 での逆像です。 の微分は原点以外で消えないので、 は正則値になります。
このやり方だと、地図帳を手で作らずに済みます。方程式を 1 本書けば、多様体が 1 つできあがる。
メルカトルの教訓
地図に何が写るかは、貼り合わせの条件で決まります。ドイツの講義録が挙げている例が分かりやすい[1]。
メルカトル図法は角度を保ちますが、面積は保ちません。典型的なメルカトル図でグリーンランドがアフリカより大きく見えるのに、実際の面積は 万平方キロメートルと 万平方キロメートルです[1]。
方向も保ちません。最短経路である大円が、直線として写らない[1]。
同じ問題が多様体でも起きます。位相多様体では座標変換が同相写像でしかないので、地図から読み取れるのは位相の情報だけ。長さも角度も面積も測れず、微分や積分すら定義できません[1]。
もっと知りたければ、座標変換にもっと強い条件を課すことになります。無限回微分可能なら微分可能多様体、角度を保つなら共形多様体[1]。
分離公理はなぜ要るか
ハウスドルフ性を外すと、直感に反する空間が現れます。原点を 2 つ持つ直線がその例です。
を 2 本用意し、 以外のすべての点を貼り合わせます。 だけが 2 つ残る、という空間。
どの点にも と同相な近傍があるので、局所ユークリッドです。ところが 2 つの原点は、交わらない近傍で分けられません。
点列がどちらの原点にも収束してしまい、極限が一意に決まりません。こうした空間を除くために、ハウスドルフ性を定義に入れます。
第二可算性のほうは、大きすぎる空間を除きます。単位の分割が作れるかどうかに効いてきて、局所的に作った対象を全体へ貼り合わせる技法が使えるかを左右します[1]。
例をいくつか
貼り合わせの考え方が身につくと、例はいくらでも作れます。
積は多様体になります。 と が多様体なら も多様体で、地図は両者の地図の積をとればよい[1]。
トーラスはこの構成で出ます。 と定義すれば、球面の地図帳と積の構成だけで多様体になります[1]。
2 次元トーラスは、埋め込みの式でも書けます[1]。
どちらの作り方でも、できあがる空間は同相です[1]。
多様体にならない例
すべての図形が多様体になるわけではありません。 の中で が定める集合が、ドイツの講義録に演習問題として挙がっています[1]。
原点で尖っているように見えます。ただし見た目にまどわされないように、と注意書きが付いている[1]。多様体かどうかは位相だけの問題なので、尖り方は関係ありません。
これは位相多様体になります。写像 が同相を与えるためです。ところが滑らかな部分多様体としては失格で、原点で微分が消えます。
位相の問題と微分構造の問題は別物だ、という教訓がここにあります。
滑らかにできない空間
さらに深い事実もあります。滑らかな構造がまったく入らない位相多様体が存在します[1]。
地図帳は作れるのに、座標変換をすべて にそろえる方法がない。位相多様体と微分可能多様体は、本当に別の概念です。
逆に、同じ位相空間に本質的に違う滑らかな構造が入ることもあります。どちらの現象も高い次元で起きるので、低次元の直感では気づけません。
地図を貼り合わせるだけで世界を作る。単純な処方に見えて、貼り合わせ方の自由度がこれだけの奥行きを生みます。









