ベクトル場とは(積分曲線・流れ・リー括弧)
ベクトル場は、多様体の各点に接ベクトルを 1 本ずつ、なめらかに割り当てたものです。
流体の速度場だと思うと見通しがよくなります。フランスの講義録も、 を の上を動く流体の速度場として思い描くと便利だと書いています[2]。
各点に矢を植える。すると、その矢に従って粒子が流れ始めます。
定義と成分
正式には、接束 の滑らかな切断です[3]。点 に の元を対応させ、その対応が滑らかであることを要求します。
座標をとると成分で書けます。座標基底を使って、次の形になります[2]。
が滑らかであることと、成分関数 が滑らかであることは同値です[3]。
座標基底そのものもベクトル場です。 を各点に割り当てたもので、座標場と呼ばれます[2]。
関数に作用する
接ベクトルが微分作用素だったので、ベクトル場は関数を関数へ写す作用素になります。
による作用は線形で、ライプニッツ則をみたします[2]。この 2 条件をみたす作用素を微分といい、ベクトル場と微分は同じものとみなせます。
作用素として見ると、和もスカラー倍も自然に定義できます。集合 は無限次元のベクトル空間になります。
常微分方程式になる
ベクトル場を与えることは、多様体の上に常微分方程式を書くことと同じです[2]。
この方程式の解を積分曲線と呼びます。曲線 が各時刻で をみたすもの[2]。
存在と一意性は局所的に保証されます。どの点 についても、十分小さな をとれば、 で定義された唯一の積分曲線が から出発します[2]。
証明は簡単で、地図の中へ移せば の常微分方程式になるためです[2]。多様体特有の難しさは、局所的な話には出てきません。
灰色の棒が各点に植えた矢で、青い点が積分曲線に沿って動く粒子です。矢は動かず、粒子だけが流れます。
流れという見方
初期条件への依存も滑らかです。 の近傍 と時間の区間 をとれば、 が滑らかな写像になります[2]。
各 を固定すると、 は局所微分同相です。この族を の流れと呼びます[2]。
流れは 1 径数局所群をなします[2]。
最後の性質が要です。 秒流してから 秒流すのと、 秒流すことは、同じ操作になります。時間の足し算が写像の合成に化けています。
微分同相写像で運ぶと、流れも一緒に運ばれます。 の流れは で、もとの流れを共役にとったものになります[2]。
括弧積
2 つのベクトル場を続けて作用させた は、ベクトル場になりません。2 階の微分が出るので、ライプニッツ則が壊れます[2]。
ところが差をとると、2 階の項が消えます[2]。
ライプニッツ則の確認も短い。 を展開して を引くと、余計な項が打ち消し合います[2]。
成分で書くと、互いの成分を微分し合った差になります[2]。
流れの交換しなさを測る
括弧積が何を測っているかは、流れを組み合わせると見えます。 で 秒、 で 秒進み、それぞれ 秒だけ戻る。
出発点に帰ってくるとは限りません。ずれの大きさが次のようになります[2]。
の 2 乗で効いてきます。1 次では消えるので、素朴に見ると閉じているように見える。
具体例で確かめます。、 とすると、流れは と です。
原点から出発すると、順に 、、、 へ移ります。もとの点に戻らず、 だけ上へずれる。
括弧積を計算すると なので、ずれの向きと一致します。
4 辺を一周しても閉じません。閉じない量が括弧積で、これが になることと 2 つの流れが可換になることは同値です[2]。
座標場どうしは可換です。 が成り立ち、偏微分の順番が入れ替えられることの言い換えになっています。
完備とは限らない
流れが定義される時間の幅は、点ごとに違います。すべての で定義できるとき、そのベクトル場を完備といいます。
完備でない例は簡単に作れます。 の上で とすると、方程式は 。
から出発する解は で、 で発散します。有限の時間で無限遠へ抜けてしまい、そこから先へ流せません。
コンパクトな多様体では、この心配が要りません。抜け出す先がないので、どのベクトル場も完備になります。
完備なら流れは局所群でなく本物の群になります。 が全体で定義された微分同相になり、 について からの群準同型が得られる。
行列で書ける例
線形なベクトル場を見ておきます。 の上で とすると、方程式は です。
解は行列の指数関数で書けて、流れは になります。これは全体で定義されるので、 は完備。
2 つの線形場 、 の括弧積を計算すると、行列の交換子が出てきます[2]。ベクトル場の括弧積と、行列の が対応します。
リー群とリー環の関係が、いちばん素朴な形で現れた場面です。流れの非可換性が、行列の非可換性そのものになっています。
微分同相で保たれる
括弧積は写像で運んでも壊れません。 が微分同相なら、次が成り立ちます[2]。
だから括弧積は座標によらない構造です。 は括弧積によってリー環になります。
なお、ベクトル場を写像で運ぶには微分同相が要ります[2]。単射でなければ行き先で値が競合し、全射でなければ値の決まらない点が残るためです。
リー微分として読む
括弧積には、もう一つの読み方があります。 の流れに乗って を見たときの変化率です。
時刻 での を、流れで出発点まで引き戻します。引き戻した結果を で微分すると、 に沿った のリー微分が定義できます。
この量が に一致します。括弧積は、流れに沿った変化を測る微分だったことになる。
共変微分との違いは、接続が要らない点です。リー微分は流れだけで決まるので、計量も接続もない多様体で使えます。
そのかわり、 は だけでは決まりません。 の近傍での様子が要ります。方向を指定するだけの役ではない、という点が共変微分と対照的です。
どこでも消えない場は作れるか
各点に矢を植えるとき、どこでも にならないように植えられるでしょうか。答えは多様体の形によります。
奇数次元の球面では作れます。 を の中で考え、座標を とすると、次の場がどこでも消えません[3]。
各 2 次元の面の中で回転させているだけです。位置ベクトルに直交するので接ベクトルになり、長さは なので になりません。
偶数次元の球面では作れません。どんなベクトル場にも零点がある。それがハリネズミの定理の主張です[3]。
左の球面では、緯線に沿って矢を並べています。北極と南極では向きが決まらず、そこが零点になる。
右の円周では、接線方向にそろえて植えられます。 は奇数次元なので、消えない場が作れる例です。
平行化可能という条件
さらに強い問いもあります。接束の基底になるだけの本数のベクトル場を、どこでも一次独立に植えられるか。
これができる多様体を平行化可能といいます。球面のうち平行化可能なのは 、、 の 3 つだけです[2]。
偶数次元の球面はすべて外れます。1 本すら消えない場が作れないので、基底など望むべくもない[2]。
と が入るのは、四元数と八元数の積が背後にあるためです。代数の存在が、幾何の性質として現れています。
部分多様体に沿う流れ
流れの向きが部分多様体に接していれば、流れはその中にとどまります。
を部分多様体とし、 のどの点でも が成り立つとします。このとき の点から出た積分曲線は、少なくとも短い時間は の中に入ったままです[2]。
理由は一意性です。 を に制限したものも 上のベクトル場になるので、そちらの解が での解にもなっている。解は 1 本しかないので、両者は一致します[2]。
保存量がある力学系で、軌道が等位面から出ない理由もこれです。エネルギーが一定に保たれるなら、速度が等位面に接している。











