ホップ・リノーの定理|リーマン幾何学の完備性
完備という 1 語が、まったく違って見える 3 つのことを同時に言っています。距離空間として穴がないこと、測地線がどこまでも延びること、有界閉集合がコンパクトなこと。
これらが同値だと述べる定理が、ホップ・リノーの定理です。さらに、どの 2 点も最短測地線で結べるという結論まで付いてきます。
距離としての完備
リーマン多様体には距離が入ります。2 点を結ぶ曲線の長さの下限をとったものが です。
この について が完備な距離空間であるとき、 は完備だといいます[2]。コーシー列が必ず収束する、という条件です。
素朴に言えば、空間に穴が空いていないということ。近づいていく点列があるのに、行き着く先が空間の中にない、という事態が起きません。
測地線としての完備
まったく別の言い方もあります。どの測地線も、すべての まで延長できるとき、測地的に完備といいます[2]。
こちらは走り続けられるかどうかの条件です。まっすぐ進んでいって、有限時間で世界の端に達してしまわない。
端がある例を見ます。原点を抜いた平面 で、原点へ向かう直線を走ります。
原点は空間から取り除いてあるので、そこへ到達できません。到達する寸前で測地線が定義できなくなる。
距離のほうでも同じ破綻が起きています。原点へ近づく点列はコーシー列ですが、極限は空間の外。2 つの完備性が、同じ穴を別の言葉で言い当てています。
指数写像を思い出す
条件の 3 番目と 4 番目に出てくる を確認しておきます。
点 と接ベクトル を与えると、 を出て初速 で進む測地線がただ 1 本決まります。測地線の方程式が 2 階の常微分方程式なので、初期条件から解が一意に定まるためです。
その解を と書き、 と定めます。速度 で 1 単位時間だけまっすぐ進んだ行き先、という意味。
常微分方程式の一般論が保証するのは、 が小さい範囲での存在だけです。 まで解が延びる保証はありません。
だから は、 の原点の近くでしか定義できないことがあります。 全体で定義できるかどうかが、まさに測地的完備性の条件です。
2 つの完備性がつながる理由
距離の完備性と測地線の完備性が結びつく事情を、直観の水準で書いておきます。
測地線が有限の時刻 で延長できなくなったとします。 としたときの点の列を考えると、これはコーシー列です。弧長で径数づけていれば、距離の増え方が時間の増え方で押さえられるためです。
このコーシー列が収束するなら、その極限点のまわりでまた測地線を少し延ばせます。延ばせないという仮定に反するので、極限は存在しないことになる。
つまり測地線が切れる場所には、距離空間としての穴があります。逆に穴があれば、そこへ向かう測地線が切れる。2 つの完備性は、同じ穴を別の側から見ています。
最短でも一意とは限らない
定理が保証するのは最短測地線の存在だけです。1 本しかないとは言っていません。
球面の対蹠点が分かりやすい例です。北極と南極を結ぶ大円は無数にあり、どれも長さが等しく、どれも最短。
一意になるのは十分近い 2 点だけです。離れると、最短経路が複数現れたり、途中から最短をやめたりします。
最短でいられる限界の点を切断点と呼び、その集まりを切断跡といいます。切断跡の形は多様体ごとに違い、位相の情報を含みます。
円柱で確かめる
具体例を見ておきます。円柱 に積の計量を入れると、測地線は螺旋になります[2]。
円周方向にまわりながら、まっすぐな軸方向へ一定の割合で進む。円だけをまわる場合と、まっすぐ上るだけの場合が、その両端にあたります。
どの螺旋も無限に延ばせるので、円柱は完備です。有界閉集合がコンパクトになることも、そのまま確かめられます。
一方、円柱から 1 本の母線を抜くと完備でなくなります。抜いた線に達する測地線が、そこで止まってしまうためです。
定理の主張
連結なリーマン多様体について、次の 4 つは同値です[2]。
そして、どれか 1 つが成り立てば、 のどの 2 点も最短測地線で結ばれます[2]。
英語の事典も同じ 3 条件を挙げ、結論として長さが ちょうどの測地線が存在すると述べています[1]。
2 番目はハイネ・ボレルの性質です。ユークリッド空間では当たり前に思える性質が、一般の多様体では完備性と同じ強さを持ちます。
ハイネ・ボレルという条件
2 番目の条件にも触れておきます。有界な閉集合がコンパクトになる、という性質です。
では当たり前に感じます。ハイネ・ボレルの定理として習う内容で、有界かつ閉ならコンパクト。
一般の距離空間では成り立ちません。開円板がその例で、円板全体は自分自身の中で閉かつ有界なのに、コンパクトではない。
無限次元の空間でも崩れます。単位球は有界閉集合ですが、コンパクトになりません。
リーマン多様体ではこの性質が完備性と同値になります。それが定理の一部です。有限次元であることと、距離が長さから決まっていることが効いています。
この条件は使いやすい形をしています。何かが有界だと示せば、そこからコンパクト性が言える。大域幾何の議論が、しばしばこの経路を通ります。
1 点で足りる
3 番目の条件が意外なところです。 が全体で定義される点が 1 つでもあれば、すべての点で同じことが成り立ちます。
言い換えると、ある 1 点から見てどの方向へもまっすぐ無限に進めるなら、どの点から出発しても無限に進める。局所的な条件が大域へ広がる典型です。
から出た測地線が延び続けるので、 の像が広がっていきます。完備なら、いずれ多様体全体を覆います。
証明の筋
いちばん面白いのは、 が定義されることから最短測地線の存在を出す部分です。素朴な発想でうまくいきます。
とし、 のまわりに小さな正規球 をとります。その境界 の上で、関数 が最小になる点を とする[3]。
はコンパクトなので最小値が存在します。 と書き、 という測地線を走らせます。
主張は です。これを示すために、次の集合を考えます[3]。
まで進んだぶんだけ、 までの距離がきっちり減っている、という条件です。 では成り立つので は空ではありません。
が閉じていることは、距離の連続性から出ます。残るのは、 かつ なら少し先の も に入る、という主張[3]。
これが言えれば となり、 が閉なので 。つまり で、 です[3]。
延長の一歩は、また小さな正規球でやります。 のまわりの球面上で を最小にする点を選ぶと、それが に一致する[3]。
一致しなければ、つないだ曲線に折れ目ができます。折れ目のある曲線は最短になれないので、矛盾。折れないという一言が、証明の要になっています。
穴あき平面をもう一度
反例に戻ります。 で、原点をはさんで反対側にある 2 点 と をとります。
平面での最短経路は原点を通る線分ですが、原点がありません。少しよけて通るしかなく、どの経路も線分より長い。
下限は線分の長さに等しいのに、それを達成する経路が存在しません。最短測地線が存在しない例になっています。
ホップ・リノーの結論の対偶です。最短測地線がないのだから、この空間は完備ではありません。
開円板の場合
もう 1 つの反例が開円板です。境界を含まない円板に、平面から誘導した計量を入れます。
境界へ向かう点列はコーシー列ですが、極限は円板の外にあります。距離空間として完備ではない。
有界閉集合がコンパクトにならない例にもなっています。円板全体は自分自身の中で閉集合であり有界ですが、コンパクトではありません。
破線の縁は空間の外です。点どうしはいくらでも近づくのに、行き着く先が中にありません。
完備とコンパクトは別物
完備だからといってコンパクトとは限りません。 も双曲空間 も完備ですが、コンパクトではない[2]。
逆向きは成り立ちます。コンパクトなリーマン多様体は必ず完備です[2]。ドイツの発表資料も、コンパクトな曲面が完備であることを系として挙げています[3]。
理由は 2 番目の条件から見えます。全体がコンパクトなら、その中の閉集合もコンパクト。有界という条件は何も足しません。
穴がない。測地線が延び続ける。有界閉集合がコンパクト
全体が有限に収まっている。完備よりも強い条件
1931 年の論文
この定理はハインツ・ホップとヴィリー・リノーによるものです。 年の論文で確立されました[1]。
題は「完備な微分幾何学的曲面の概念について」。曲面論の言葉で書かれ、のちに一般の次元へ広がりました[1]。
完備という言葉に、どの定義を採るべきかという問いがありました。その問いに、どれを採っても同じだ、と答えた。それがこの定理でした。
どこで効いてくるか
大域的な定理の多くが、この結果を土台にしています。
たとえば、リッチ曲率に正の下限があるとき多様体がコンパクトになる、という主張。直径が有限だと示したあと、有界閉集合はコンパクトだという条件を使って結論します[2]。
最短測地線の存在も、あちこちで使われます。2 点を結ぶ最短経路をとって、その上で変分を考える、という論法が可能になるためです。
完備性は仮定として軽く見えます。実際には、大域幾何のほとんどの議論が、この 1 語に支えられています。









