床に置いた箱を、横から軽く押します。動きません。ここで一つ確かめておきたいことがあります。押しているのに動かないのなら、押す力とつり合う力が、どこかから出ているはずだということです。
その力が摩擦力です。図の矢印を見てください。押す力 を強くすると、摩擦力 も同じだけ伸びます。緩めれば、同じだけ縮みます。押していないときは、摩擦力も出ていません。
ここが重力や垂直抗力と違うところです。重力は と決まっています。ところが静止摩擦力には、決まった大きさがありません。相手が強く押せば強く、弱く押せば弱く、そのつど必要なだけ出てきます。
つまり、止まっているあいだの摩擦力は です。 という文字はまだ出てきません。係数を使って計算するのは、次の場面で出てくる限界のところだけです。ここを取り違えて、止まっている箱の摩擦力をいきなり と書いてしまう間違いが、とても多い。
相手に合わせて出てくるといっても、いくらでも出るわけではありません。押す力を強くしていくと、あるところで摩擦力は伸びるのをやめます。
図に立ててある目印が、その限界です。ここまでは伸びますが、ここで止まります。この値を最大静止摩擦力といい、 と書きます。 が静止摩擦係数、 が面を押している力、つまり垂直抗力です。
押す力がこの目印を越えた瞬間、つり合う相手がいなくなります。力の和が 0 でなくなるので、箱は動き出します。すべり出す条件は です。
裏返せば、 のあいだは のままだということです。 は摩擦力の値ではなく、摩擦力が届きうる上限です。この 2 つを混ぜないでください。
すべり出すと、摩擦力は別の値に変わります。動いているものにはたらく摩擦を動摩擦力といい、 です。 が動摩擦係数です。
図には目印を 2 つ立ててあります。外側が静止摩擦の限界、内側が動摩擦です。摩擦の矢印は外側まで伸びたあと、すべり出した瞬間に内側まで縮みます。 だからです。
押す手は変えていません。それなのに摩擦だけが小さくなるので、差し引きの力が急に生まれます。箱はそこから加速していきます。重い戸棚を押していて、動き出したとたんに軽くなったように感じるのは、この落差です。
もう一つ、動摩擦力は速さによりません。ゆっくりすべっていても速くすべっていても のままです。止まっているあいだは相手しだいで変わり、すべり出したら一定になる。摩擦力のふるまいは、この 2 つで尽きています。
ここまでを 1 枚の図にします。横軸が押す力 、縦軸がそのとき出てくる摩擦力 です。
左半分は の直線で、傾きはちょうど 45 度です。押した分だけ出るというのが、この直線です。縦軸と横軸を同じ縮尺で取ってあるので、45 度になります。
に届いたところで、線は途切れて下へ跳びます。この跳びが、すべり出した瞬間に摩擦力が落ちることを表しています。破線でまたいであるのは、途中の値を通るわけではないからです。
跳んだ先から右は、水平な直線です。どれだけ強く押しても、動摩擦力は のまま変わりません。この折れ線 1 本が、摩擦力という力の性格をそのまま描いています。