可測関数はほとんど連続〜単関数の階段で刻んで確かめる
可測空間 の上の関数 が可測であるとは、すべての について次が成り立つことをいいます[1]。
不等号の向きは問いません。、、 のどれで書いても同じ条件になります。半直線がボレル集合族を生成するから[7]。
値に無限大を許す
解析では という拡大実数値の関数を使います。理由は上限や下限をとる操作を閉じさせるため。
実数値に限ると、 が有限に収まる保証がありません。値域を広げておけば、上限も下限も常に存在して可測になる[7]。
拡大実数の上では が定義できません。和をとるときは、 と が同時に と にならないという但し書きが要ります[7]。
単関数という部品
可測集合の指示関数を有限個ならべたものを単関数といいます[7]。
表し方は一意ではありません。 が互いに違って が互いに交わらないとき、標準形と呼びます。
単関数とは、有限個の値しかとらない可測関数のこと。逆に、有限個の値しかとらない可測関数は必ず単関数の形に書ける。
非負可測関数は単関数で下から近づけられる
ここが可測関数の扱いを決める定理です。 が可測なら、単関数の増加列で各点収束させられます[7]。
作り方は値域を刻むこと。 段目では を幅 に等分し、 の値がどの段に落ちるかで を振り分けます。
も も、 の可測性から可測集合です。だから各 は単関数。
刻みを半分にすると段が細かくなるので、 と単調に増えます。 が有界なら収束は一様になる[7]。
一般の可測関数は正部分と負部分に分けます。、 と置くと、どちらも非負可測。
非負の場合に定理を当てて、あとで引き算する。可測関数の議論はたいていこの形で進みます。
リーマン積分の流儀。 軸を細かく割り、各区間での関数の振れ幅を見る。振れが激しいと収束しない
ルベーグ積分の流儀。 軸を細かく割り、同じ高さになる を集める。集めた先が可測でありさえすればよい
ほとんどいたるところ
測度 の集合を除いて成り立つ性質を、ほとんどいたるところ成り立つといいます[7]。記号は a.e.。
が a.e. で成り立つとき、積分に関わる量はすべて一致します。可測関数を扱うときの基本は、測度 の差を無視する姿勢。
ただし可測性そのものは話が別。 が可測で が a.e. でも、 が可測とは限りません。
食い違う場所は測度 の集合の部分集合ですが、それが可測集合であるとは限らないからです。測度空間が完備なら、この心配は消えます[7]。
ルベーグ測度がこれ。測度 の集合の部分集合はすべて可測。a.e. で等しい関数は可測性を共有する
ボレル測度がこれ。測度 のボレル集合の部分集合に、ボレル集合でないものがある。a.e. の言い換えに但し書きが要る
可測関数はほとんど連続
ルジンの定理が、可測関数と連続関数の距離を測ります[3]。
が可測なら、任意の に対してコンパクト集合 がとれて、 の への制限が連続、しかも になる。
逆向きの言い方もできます。任意の について、連続関数 で となるものがとれるなら、 は可測[3]。
ディリクレ関数 で確かめます。有理数を の区間で覆った開集合を除けば、残りは無理数だけからなる集合で、そこでは は定数 。
どこでも不連続な関数が、測度 を捨てるだけで連続関数になる。「ほとんど連続」という言い方が誇張でないことが分かります。
各点収束はほとんど一様収束
エゴロフの定理は収束のほうを扱います[4]。
とし、可測関数列 が の上で a.e. に へ収束するとします。このとき任意の に対し、可測集合 がとれて 、そして の上で は一様収束する[5]。
証明は「収束が遅い点」を集めることで進みます。許容誤差 に対し、番号 以降でまだ誤差を超える点の集合を作る。 を増やすとこの集合は縮み、測度は に近づきます。
ごとに測度 以下になるところまで を選び、全部合わせても測度は 以下。残りの上では一様収束します。
を で見ると、各点極限は でだけ になる不連続な関数です。 全体では一様収束しません。
ところが右端の幅 を捨てると、残りでの最大値は で、 とともに へ落ちる。捨てる幅をいくら小さくしても同じことが起きます。
測度が無限だとエゴロフは崩れる
という仮定は外せません[4]。 の上で次の列を考えます。
どの でも、 が十分大きくなれば 。各点収束の極限は です。
ところが有限測度の集合 をどう選んでも、 の上で一様収束しません。山が右へ走り続け、 が有限測度である限り必ず山と重ならない位置が残るからです[4]。
有限測度という仮定は、山の逃げ場をなくすために効いています。逃げ場があると、いくら捨てても追いつかない。
リトルウッドの 3 原則
ここまでの定理は、リトルウッドが 1944 年に書いた 3 つの言い方でまとめられます[6]。
3 つとも「ほとんど」という語がかなめです。測度 を捨てる自由を認めると、扱いにくい対象が素直な対象に化ける。
測れる集合は区間の有限和とほとんど同じ
測れる関数は連続関数とほとんど同じ
各点収束は一様収束とほとんど同じ
演算と極限で閉じる
最後に閉じ方を並べておきます。可測関数どうしの和、定数倍、積、商(分母が でない場合)はすべて可測[2]。
絶対値と 、 も可測です。 で片づきます。
上限、下限、上極限、下極限、そして各点極限も可測。連続関数の族が各点極限で壊れるのに対し、可測関数の族はここで壊れません[7]。
この閉じ方があるので、収束定理を可測関数の枠の中で書けます。極限をとるたびに枠の外へ出ていたら、積分と極限の交換など論じられません。
エゴロフの定理で、測度が有限という仮定を外すとどうなりますか。
- 結論は変わらない
- 反例がある。 が各点収束するのに、ほとんど一様収束しない
- 各点収束すら成り立たなくなる










山が右へ走り続ける列は、どの点でも最後は 0 になるので各点収束します。ところが有限測度の集合をどう捨てても、その外側に山が来る番号が必ずあるので、一様収束しません。