長さと角度をあとから入れる、内積空間の公理と例
ベクトル空間の公理には、長さも角度も出てこない。足し算とスカラー倍だけで、 がどれだけ長いかは決まらない。
そこへあとから入れる構造が内積である。 と定めれば長さが出て、 と定めれば角度も出る[1]。
入れ方は 1 通りではない。同じ空間に違う内積を入れれば、長さも直角も変わる。
内積の 4 条件
実ベクトル空間 上の内積とは、2 つのベクトルに実数を返す写像で、次の 4 つを満たすものをいう[1]。
第 2 変数の線形性は条件に入っていない。対称性から自動で出るためで、独立には数えない。
線形性からは も出る。 と書いてスカラーを外へ出せばよい。
複素の場合は対称性を変える
複素ベクトル空間で対称性をそのまま使うと、非負性と衝突する。 となってしまう[1]。
そこで対称性を共役対称性に置き換える。
これなら で、自分自身が実数になる。非負性を課す意味が保たれる。
代わりに第 2 変数は共役線形になる。 で、スカラーが共役を付けて出てくる。
例:標準内積
でいちばん基本の内積が、成分の積を足したものである[1]。
、 なら 。長さは と なので 、角度は 度になる。
例:重みを付けた内積
対称で正定値な行列 を 1 つとると、別の内積が作れる。
が単位行列なら標準内積に戻る。次の をとってみる。
平方完成すると になり、 以上で、 になるのは のときだけ。4 条件を満たしている。
この内積では と が直交しない。 で、標準内積で直角だったものが直角でなくなる。
例:関数の内積
区間 上の多項式の空間に、次の内積を入れる[1]。
、 の内積は 。定数関数と 1 次関数が直交している。
の長さは 、 の長さは 。関数に長さが付くと、近似の良し悪しを測れるようになる。
は と直交しない。 である。 に直せば直交し、ルジャンドル多項式の 2 番目が出てくる。
例:行列の内積
行列の空間には、フロベニウス内積が入る[1]。
成分をすべて並べて 1 本のベクトルと見た標準内積と同じもの。行列という見かけを外すと、 の標準内積になっている。
対応する長さがフロベニウスノルムである。成分が の 2 次行列なら になる。
コーシー・シュワルツの不等式
内積とノルムを結ぶ基本の不等式が、これである[2]。
証明は 2 次関数を使う。 とし、実数 を動かして を展開する。
右辺は の 2 次関数で、つねに 以上。 を代入すると、いちばん小さい値が出る[1]。
両辺に を掛けて平方根をとれば、求める不等式になる。

等号が成り立つのは、上の計算で となるとき、つまり が の定数倍のときに限る[2]。一次従属かどうかが、等号の条件になっている。
三角不等式
コーシー・シュワルツから、ノルムの三角不等式が出る[2]。
両辺の平方根をとって 。回り道より直線が短い、という当たり前の事実が、内積の 4 条件だけから出た。
内積の 4 条件
コーシー・シュワルツ
三角不等式
中線定理
ノルムを内積から作ると、次の等式が必ず成り立つ[2,3]。展開して整理するだけで出る。
平行四辺形の 2 本の対角線の二乗和が、4 辺の二乗和に等しい。平面幾何の中線定理そのものである。
内積はノルムから復元できる
逆向きに、ノルムだけから内積を書き戻せる。実の場合は次の形になる[3]。
複素の場合は について を足し、4 で割る。偏極恒等式と呼ぶ。
つまり内積とノルムは、情報として同じものを持っている。片方を決めれば、もう片方が決まる。
どんなノルムが内積から来るのか
ノルムだけを公理にすると、内積から作れないものが混ざる。 の がその例である。
、 で中線定理を試すと、左辺が 、右辺が 。等しくない。
中線定理を満たすかどうかが、そのまま境目になる。満たせば偏極恒等式で内積が作れ、満たさなければ作れない[3]。
長さだけがある。三角不等式は成り立つが、直角は定義できない
角度まで入る。中線定理と偏極恒等式が成り立ち、ノルムと内積が行き来する
の ノルムは、どれも中線定理を満たさない[3]。同じ と で左辺が 、右辺が になり、 でだけ一致する。
直交
のとき、 と は直交するという。角度の話をしなくても、内積が かどうかで言える。
直交するとピタゴラスの定理が成り立つ。展開したとき、内積の項が消えるためだ。
零ベクトルはすべてのベクトルと直交する。逆に、すべてと直交するベクトルは零ベクトルしかない[1]。 とおけば となり、非退化性から が出る。
上の事実から、 がすべての で成り立てば が言える。
差 がすべてと直交するので、零ベクトル。内積は、ベクトルを見分けるのに十分な情報を持っている。
で が内積から作れないのはなぜですか。
- 三角不等式を満たさないから
- 中線定理を満たさないから
- が を意味しないから
角度が入る例も確かめる。
内積空間で かつ 、 のとき、 はいくらですか。
直交しているので となり、 です。 は長さをそのまま足した値で、これは直交していないときの上限にあたります。
補足
無限次元では、内積があるだけでは足りない場面が出てくる。収束するはずの列が空間の外へ出ていくことがあるためだ。
内積空間が距離について完備なとき、ヒルベルト空間と呼ぶ。二乗可積分関数の空間 がその代表で、フーリエ級数の理論はここで展開される。
有限次元なら完備性は自動で付いてくる。線形代数の範囲で完備性を気にしなくてよいのは、そのためである。
長さと角度は、空間にもとから備わったものではない。内積を 1 つ選んだ結果として決まる。どの内積を選ぶかで、何が直角かが変わる。













u=(1,0)、v=(0,1) で中線定理の左辺が 8、右辺が 4 になります。三角不等式も非退化性も満たすので、ノルムではあります。内積から来るノルムだけが持つ性質が、中線定理です。