大英帝国の解体:脱植民地化の歴史
第二次世界大戦後、かつて世界の 4 分の 1 を支配した大英帝国は急速に解体していきました。「脱植民地化」と呼ばれるこのプロセスは、わずか数十年で「太陽の沈まない帝国」を過去のものとしたのです。
帝国の黄昏
1945 年、イギリスは第二次世界大戦の戦勝国となりましたが、国力は大きく消耗していました。莫大な戦費によって対米債務が膨らみ、もはや広大な帝国を維持する余裕はありません。
世界の陸地の約 4 分の 1、人口の約 4 分の 1 を支配。基軸通貨ポンドを持つ世界最大の帝国だった。
アメリカからの借款に依存し、国内では配給制が続いた。帝国維持のコストが重荷になり始めていた。
戦後のアトリー労働党政権は、国内の福祉国家建設を優先し、帝国からの撤退を加速させることを決断しました。
インド独立(1947年)
大英帝国の「王冠の宝石」と呼ばれたインドの独立は、脱植民地化の象徴的な出来事でした。
マハトマ・ガンディーやジャワハルラール・ネルーが率いる独立運動は戦前から続いていましたが、戦後になって独立は避けられないものとなります。しかし、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立という難問が立ちはだかりました。
イスラム教徒多数派地域がパキスタンとして分離独立しました。
ヒンドゥー教徒多数派地域がインド連邦として独立。ネルーが初代首相に就任しました。
国境線をまたぐ大規模な住民移動が発生し、宗教対立による暴動で数十万人が犠牲になりました。
インドの独立は、アジア・アフリカの植民地に大きな影響を与えました。世界最大の植民地が独立したことで、他の地域でも独立運動が勢いづいていきます。
アフリカの独立ラッシュ
1950 年代後半から 1960 年代にかけて、アフリカの植民地が次々と独立していきました。1960 年は「アフリカの年」と呼ばれ、17 か国が独立を達成しています。
サハラ以南のアフリカで最初に独立したイギリス植民地。クワメ・エンクルマが初代大統領となり、パン・アフリカニズムを掲げました。
アフリカ最大の人口を持つ国が独立。しかし独立後は民族対立に悩まされ、ビアフラ戦争(1967-70 年)という内戦も経験しました。
マウマウ団の反乱など激しい独立闘争の末に独立を達成。ジョモ・ケニヤッタが初代大統領となりました。
1960 年、ハロルド・マクミラン首相は南アフリカ議会で有名な「変化の風」演説を行い、アフリカのナショナリズムを認める姿勢を示しました。これは帝国の終焉を象徴する演説として記憶されています。
スエズ危機(1956年)
脱植民地化の過程で、イギリスの国際的地位の低下を象徴する事件がありました。スエズ危機です。
エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化した
イギリスはフランス、イスラエルと共同でエジプトに軍事介入した
アメリカとソ連が撤退を要求し、イギリスは屈辱的な撤退を余儀なくされた
スエズ危機は、イギリスがもはやアメリカの了承なしには大規模な軍事行動をとれないことを世界に示しました。帝国の時代は完全に終わったのです。
香港返還(1997年)
大英帝国最後の大きな植民地だった香港は、1997 年 7 月 1 日に中国に返還されました。
香港島は 1842 年のアヘン戦争後に割譲され、九龍半島と新界は後に租借地として獲得されていました。新界の租借期限が 1997 年に迫る中、イギリスと中国は返還交渉を行い、「一国二制度」という方式で合意に達します。
返還式典には、チャールズ皇太子(当時)とクリス・パッテン総督が出席しました。ユニオンジャックが降ろされ、五星紅旗が掲げられる様子は、大英帝国の終焉を象徴する光景として世界中に放映されました。
帝国からコモンウェルスへ
大英帝国は消滅しましたが、その後継としてコモンウェルス(英連邦)が存続しています。現在 56 か国が加盟するこの国際組織は、旧イギリス植民地を中心に構成されています。
英語の国際的地位、議会制民主主義の普及、コモン・ローの法体系など、大英帝国の遺産は形を変えて今も世界に影響を与え続けています。しかしその一方で、植民地支配がもたらした傷跡や、略奪された文化財の返還問題など、清算すべき課題も残されています。帝国の歴史は、功罪両面から検証され続けているのです。