ヘンリー5世:アジャンクールの勝利と百年戦争
ヘンリー 5 世(1386-1422)は、百年戦争でフランスに大勝利を収めた中世イングランドの名君です。シェイクスピアの史劇でも描かれ、理想的な戦士王として後世に語り継がれています。
放蕩から王へ
ヘンリーは王太子時代、ロンドンの酒場で遊び歩く放蕩者だったと伝えられています。シェイクスピアの戯曲では、フォルスタッフという太った騎士と悪友として登場し、父王ヘンリー 4 世を悩ませる存在として描かれました。
しかし 1413 年に王位を継承すると、ヘンリーは一変します。かつての悪友たちを遠ざけ、敬虔で勤勉な統治者へと生まれ変わったのです。
酒場通いと放蕩三昧。父王との関係も険悪だった
規律正しい生活を送り、軍事と統治に専念。カリスマ的な指導者となった
この劇的な変貌が事実かどうかは議論がありますが、少なくとも即位後のヘンリー 5 世が優れた指導者だったことは間違いありません。
アジャンクールの戦い
1415 年、ヘンリー 5 世はフランス王位継承権を主張して大陸に侵攻しました。百年戦争の再開です。
イングランド軍はハーフルール港を攻略しましたが、包囲戦で疫病が蔓延し、兵力は大きく減少していました。撤退を余儀なくされたヘンリーは、カレーへ向かう途中でフランス軍に捕捉されます。
疲弊した約 6,000 人。その大半は長弓兵で構成されていました。
推定 12,000 から 36,000 人(史料により異なる)。重装騎兵を中心とした大軍勢でした。
1415 年 10 月 25 日、両軍はアジャンクールで激突します。数的劣勢にもかかわらず、イングランド軍は圧勝しました。勝因は地形と戦術にありました。
雨でぬかるんだ狭い農地が戦場となった
フランス重装騎兵は泥に足を取られて機動力を失った
イングランド長弓兵の矢の雨がフランス軍を壊滅させた
フランス側の死者は数千人に達し、多くの貴族が戦死または捕虜となりました。この勝利でヘンリー 5 世の名声はヨーロッパ中に轟きます。
トロワ条約とフランス王位
アジャンクールの勝利後も、ヘンリー 5 世はフランスへの圧力を強め続けました。1417 年から 1419 年にかけてノルマンディを征服し、パリに迫ります。
1420 年、ついにトロワ条約が締結されました。この条約でヘンリー 5 世はフランス王シャルル 6 世の娘カトリーヌと結婚し、シャルル 6 世の死後にフランス王位を継承することが定められたのです。
イングランド軍がフランス軍に圧勝し、百年戦争の流れを変えました。
ヘンリー 5 世がフランス王位継承者として認められました。イングランドとフランスの二重王国が現実味を帯びます。
カトリーヌ王妃との間にヘンリー(後のヘンリー 6 世)が生まれました。
イングランドとフランスを統一する壮大な夢が、実現目前に見えた瞬間でした。
早すぎた死
しかし 1422 年 8 月、ヘンリー 5 世はフランス遠征中に赤痢で倒れ、わずか 35 歳で急死しました。シャルル 6 世もその 2 か月後に亡くなり、生後 9 か月のヘンリー 6 世がイングランドとフランス両国の王位を継承することになります。
幼王の治世下でイングランドの優位は徐々に崩れ、ジャンヌ・ダルクの登場によってフランスは反撃に転じました。ヘンリー 5 世があと 10 年生きていれば、歴史は大きく変わっていたかもしれません。彼の死は、イングランドにとって取り返しのつかない損失だったのです。