想像にもとづくメタ意識が合理性を破壊する瞬間
数万年後まで人間の文明があったら、彼らは望遠レンズで数千万光年離れた文明を観察しているかもしれない。この仮定は「私たちさえも別の知的生命体に日々分析されている」という別の仮定を生む。
神や宇宙人の話でなく、想像の話だ。ただ、赤色矮星だらけの宇宙になり、生命が進化しやすい星が豊富にある時代になったら、コロニーと望遠レンズを無数に連結させて過去の銀河系を観察する者たちが現れてもおかしくない。
科学者たちは知能の進化起源を探るために、私たちのログをとるだろう。地球人が細胞や細菌を顕微鏡で見るような感覚で。
………。
この理解はさまざまメタ意識の頂点にある。会話するときに、目を相手のほうにやって自分を客観的に見る想像力は一種のメタ認知。子どもから大人になる過程で、人の視界は意識的に広がる。やがて大人は目的と手段を分離し、より高度なメタを上っていく。発言自体でなく、発言の影響を最初に考えるように。
人のメタ認知はやがてメタ意識になる。自分の意識と実存がメタ的になっていく。ここで望遠レンズの話になる。妄想や宗教と異なり、この記号論理学的仮説は、私たちに冷徹な真実を告げる。
私たちの知能や想像力など、ほとんど始まったばかりにすぎない、ということだ。
都市計画もソフトウェアも発展途上、惑星工学の水準がゼロに等しい地球人。はるかむこうにいる、数億光年離れた未来人は太陽一つをミサイル一発で消せるかもしれない。彼らは、地球のなかでくりひろげられる闘争の歴史をあざ笑って、個人の自尊心や高尚な説法を道に落ちたガムに思っているかもしれない。
銀河スケールのメタ意識は、私がいかに愚かで、無知で、くだらない存在かをつきつける……。