ギリシャが中世ブルガリアの皇帝サムイルの遺骨を返還:教会の宝物 48 点と交換
2026年10月3日 22:31
ギリシャは 3 日、北部テッサロニキのビザンティン文化博物館で、中世ブルガリアの皇帝サムイルの遺骨をブルガリアに引き渡した [1][2]。代わりにブルガリアは、第一次世界大戦中の 1917 年にギリシャ北部の修道院などから持ち去った教会の宝物 48 点を返し、両国の首相が見守るなかで文化相どうしが交換の議定書に署名している [3][4][5]。遺骨はその日のうちに軍の輸送機で首都ソフィアへ運ばれ、国を挙げての式典のあと、中心部の聖ソフィア聖堂に安置された [1][6][7]。
サムイルは 997 年から 1014 年まで第一次ブルガリア帝国を治めた皇帝で、領土を広げようとビザンツ帝国と戦い続けた [2][8]。1014 年のクレイディオンの戦いで大敗したあと、ビザンツ皇帝バシレイオス 2 世が目を潰して送り返した兵士たちの姿を見て心臓発作を起こし、戦いから 2 か月後の 10 月 6 日に死んだと伝えられる [8]。ブルガリアでは民族意識を象徴する人物とされ、聖ソフィア聖堂の前にはサムイルの像が、その向かいには盲目にされた兵士たちを表した 1970 年代の彫刻が立っている [2][7]。
遺骨を見つけたのはギリシャの考古学者ニコラオス・ムツォプロス教授で、1960 年代に小プレスパ湖のアギオス・アヒリオス島を発掘し、サムイルの時代に建てられた聖堂の中で一族の墓を突き止めた [5][8]。ブルガリアのルメン・ラデフ首相によれば、身元を確かめる手がかりになったのは、正しく治らなかった腕だったという [6]。遺骨はその後テッサロニキのビザンティン文化博物館に置かれ、ブルガリアは発見のころから返還を求めてきた [2][5]。ギリシャのキリアコス・ミツォタキス首相は、今回の合意でおよそ半世紀前に始まった交渉が決着したと述べ、最初の話し合いは 1970 年代に当時のカラマンリス首相とブルガリアの指導者ジフコフ氏のあいだで持たれたと振り返った [3]。
サムイルと同じ墓に葬られていた 10 人の骨も、今回あわせて引き渡された [5]。うち 8 人は子どもで、残る 2 人は息子のガヴリル・ラドミルと甥のイヴァン・ヴラディスラフとみられ、遺伝子と人類学の調べで確かめるという [5]。一方、ブルガリアが返した 48 点はイコンや十字架、祭服、聖遺物箱、主教の椅子などで、1917 年にセレス・ニグリタ府主教区と、ティミオス・プロドロモス、パナギア・エイコシフィニッサの両修道院から持ち出され、ソフィアへ運ばれたままになっていた [3][4]。ギリシャ文化省によると、11 月 5 日までビザンティン文化博物館で展示したのち、元の修道院などへ戻す [4]。
合意には、今回の対象に入らなかったほかの品を特定し、次の合意に加えるための話し合いを続けることも盛り込まれた [4]。ただギリシャでは、ブルガリアが差し出す品で釣り合うのかを危ぶむ著名な学者や宗教指導者もいた [2]。
テッサロニキの式典でラデフ首相は、千年にわたって争ってきた両国の関係が新しい時期に入ったと述べ、遺骨の返還をこう位置づけた [2][5]。
かつてサムイル皇帝が私たちを隔てていたとしても、今日は私たちを一つにしていると言える。皇帝は私たちの戦略的な協力を強め、両国と両国民の歴史的な関係をいっそう強いものにしている。
The Guardian(Remains of medieval tsar return to Bulgaria after decades-long dispute with Greece)
ミツォタキス首相は、文化財は生まれた土地と文化から切り離せないと訴え、演説の中で次のように語った [3]。
記念物や歴史的な遺産を、戦利品として扱うことはできず、作られたのちに生じた巡り合わせの犠牲として扱うこともできない。
ERT NEWS(Μητσοτάκης: Δεν θα δεχθούμε διευθετήσεις που αναγνωρίζουν ξένη κυριαρχία στα Γλυπτά του Παρθενώνα)
大英博物館が所蔵するパルテノン神殿の彫刻にも話は及び、首相は彫刻に対する他国の主権を認めることになる取り決めや、貸し出しの形での返還は受け入れないと英国に向けて述べた [3]。9 月には英紙ガーディアンへの寄稿で、英国ならバイユーのタペストリーをばらばらにはしないはずだとして彫刻を一つにそろえるよう求めており、大英博物館の広報担当者は合意を目指す姿勢に変わりはないとギリシャの国営通信に答えている [9]。
ソフィアでは、遺骨を載せた輸送機スパルタンが MiG-29 と F-16 の戦闘機に守られて中心部のアレクサンダル 1 世広場の上空を飛び、広場を埋めた数千人が歓声と拍手で迎えた [6]。式典にはイリアナ・ヨトバ大統領や 3 人の元大統領、ブルガリア正教会のダニイル総主教らが並び、国歌が演奏されて 21 発の礼砲が撃たれている [1][6]。ブルガリア国鉄は、式典に向かう人が全国の駅から座席の予約料 0.51 ユーロだけで往復できる切符を用意していた [10]。
ラデフ首相は広場での演説で、ベラシツァ(クレイディオン)で敗れて傷を負い、目を潰された兵士たちを見て死んだサムイルの最期を「聖書の悲劇にも値する」と語り、「ヨーロッパは古傷を再び開くのではなく、至高の善である平和のために働かなければならない」と締めくくった [11]。遺骨はそのあと行列で聖ソフィア聖堂へ運ばれ、ダニイル総主教が追悼の祈りを導くなか、重さ約 2.5 トンの白い大理石の石棺に納められた [7]。石材は、かつてサムイルの国に含まれていた北マケドニアのプリレプ地方で切り出され、石棺の置き場所は聖堂の南側の翼廊、祭壇のそばである [7]。
参考文献
- [1]BTA(Bulgaria Receives Tsar Samuel's Mortal Remains with Solemn State Ceremony in Sofia)
- [2]The Guardian(Remains of medieval tsar return to Bulgaria after decades-long dispute with Greece)
- [3]ERT NEWS(Μητσοτάκης: Δεν θα δεχθούμε διευθετήσεις που αναγνωρίζουν ξένη κυριαρχία στα Γλυπτά του Παρθενώνα)
- [4]ERT NEWS(Υπεγράφη η ιστορική συμφωνία Ελλάδας - Βουλγαρίας: Εικόνες από τα 48 κειμήλια που επιστρέφουν στην Ελλάδα)
- [5]Novinite.com(Tsar Samuel’s Remains Return to Bulgaria After Decades of Talks)
- [6]Radio Bulgaria(Thousands welcome the remains of Tsar Samuil in Sofia)
- [7]Radio Bulgaria(Tsar Samuil’s remains placed in a marble sarcophagus in Sofia)
- [8]Wikipedia(Samuel of Bulgaria)
- [9]Keep Talking Greece(Parthenon Sculptures: Talks between Greece and British Museum stall)
- [10]The Sofia Globe(Bulgaria plans fanfare welcome for remains of mediaeval ruler Tsar Samuil)
- [11]BTA(PM Radev: Tsar Samuel, Man of Valour and Virtues, Finds Eternal Rest in St Sophia Basilica)