パリで最も古い屋内市場「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」が全焼
2026年10月13日 02:16
パリ中心部の 3 区にある屋内市場「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」で、10 月 11 日の深夜から 12 日の未明にかけて大きな火事があり、市場の建物が焼け落ちた [1][2][3]。1615 年に開かれ、いまも営業を続けるパリで最も古い屋内市場で、地元パリ中央区のアリエル・ヴェイユ区長によると、死者やけが人は出ていない [1][3]。
消防が現場に着いた午前 3 時ごろ、火はすでに市場の中いっぱいに燃え広がっていたと、パリ消防旅団のド・ブービエ中佐は説明した [1]。約 1000 平方メートルが焼け、屋根のある市場と鉄骨の骨組みは跡形もなくなったが、消防は市場を見下ろすように建つ住宅や店へ火が移るのを防ぎ、朝になっても建物が崩れ落ちるおそれを警戒し続けた [1][3]。出火の原因はわかっておらず、パリの検察が捜査を始めている [3]。
市場には飲食店や食料品店など約 20 の店が入り、日本料理店もあった [2]。前の晩は午後 8 時に営業を終え、清掃の担当者が戸締まりをして帰っていたといい、管理者は Le Parisien の取材に、事故なのか故意なのかもまだわからないと話した [1][2]。商店会のノエミ・ヴァグネル会長は、警報は鳴らず、おばからの知らせで火事を知ったと明かし、ここで育った自分にとって 20 年、30 年が煙になって消えるのを見るのはつらいと声を詰まらせた [1]。
こういうことが起きるのではないかと、私たちはずっと恐れていました。市場は十分に守られていないと、いつも考えていたからです。
Le Parisien(Un impressionnant incendie détruit le marché des Enfants-Rouges)
12 日に現場を訪れたパリのエマニュエル・グレゴワール市長は、被害を受けた商店と住民を市が支えるとして、店が営業を続けられるよう仮の場所を用意すると約束した [1][2]。
市場の名は、1524 年に両親を亡くした子どものために開かれた近くの孤児院「ザンファン・ルージュ(赤い子どもたち)」に由来し、そこで暮らす子どもたちがキリスト教の慈愛を表す赤い服を着ていたことから名づけられた [1][4]。ルイ 13 世の求めでブルターニュ通りに開かれた当初は「マレの小さな市場」と呼ばれ [5]、1912 年にパリ市が買い取ってからは、市民が牛乳を買いに来る場所として親しまれた [4]。1982 年 3 月 8 日に歴史的建造物に登録されたものの、1994 年には市が取り壊して地下駐車場と住宅を建てる計画を進め、映画監督のベルトラン・タヴェルニエらも加わった住民の強い反対で撤回された経緯もある [1][4]。2000 年以降は改修を経て新しい店が少しずつ入り、マレ地区の名所として地元の人や観光客でにぎわっていた [3][4]。
参考文献
- [1]Le Parisien(Un impressionnant incendie détruit le marché des Enfants-Rouges)
- [2]産経ニュース(共同通信、パリ最古の屋内市場が全焼、1615 年開設「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」)
- [3]20 Minutes(Paris : Un incendie ravage un marché couvert du 3e arrondissement)
- [4]Wikipédia(Marché des Enfants-Rouges)
- [5]Le Parisien(Le marché des Enfants-Rouges, 400 ans d’histoire parisienne réduits en cendres)