ヘンゼルの補題 - 代数的整数論
整数の世界で方程式を解くとき、まず各素数 を法として解を調べ、次にそれを と持ち上げていくという戦略は古くから知られていた。ヘンゼルの補題はこの「局所的な持ち上げ」を厳密に保証する定理であり、 進数の理論の基盤を成すと同時に、代数的整数論における局所解析の出発点となる。
ニュートン法とのアナロジー
実数の世界で方程式 の近似解を求める標準的な方法はニュートン法である。初期近似 に対して
を繰り返し適用すると、 である限り解への収束が得られる。ヘンゼルの補題は、この反復を 進的な意味で行うものだと理解できる。実数での「近さ」が の小ささで測られるのに対し、 進数での「近さ」は の大きさ( のべきで割れる回数)で測られる。近似の精度が各ステップで倍になるという構造は共通している。
ヘンゼルの補題の主張
を 進整数環、 を多項式とする。ヘンゼルの補題の最も基本的な形は次の通りである。
が を満たすならば、 かつ を満たす が一意に存在する。
かつ ならば、 を満たす が一意に存在する。これは から従う。
条件 は、 が の 単根 であることを意味する。重根の場合は持ち上げが一意でなくなったり、そもそも持ち上がらない場合がある。
具体例: 進的な平方根
として を考えよう。 上で だから は の解である。 なのでヘンゼルの補題の条件を満たし、 の存在が保証される。
実際に持ち上げの計算を行ってみる。 だから での解を
で求めればよい。 における だから となり、 を得る。検算すると より であり、確かに精度が から に上がっている。
の解
の解
の解
進極限
この手続きを無限に繰り返して得られるコーシー列の極限が の 進展開を与える。 は では無理数だが、 では「整数」( の元)として存在するのである。
一方 では に解がない()から、ヘンゼルの補題を適用する出発点すら存在しない。この場合 となる。
の情報が決定する局所的存在
ヘンゼルの補題が強力なのは、 というたった 1 段階の情報から 進整数環全体での解の存在を導ける点にある。この性質を利用すると、 進的な問題を有限体 上の問題に帰着できる場合が多い。
有限個の元を調べるだけで判定できる。計算量は小さい。
無限の精度を持つ対象だが、ヘンゼルの補題により の情報から存在が従う(単根条件の下で)。
たとえば が で解を持つかどうかは、 が で平方剰余かどうかに帰着する。二次の相互法則から のときに限り解が存在し、この場合 が確定する。
一般の付値環への拡張
ヘンゼルの補題は に限らず、より一般的な枠組みで成立する。数体 の素イデアル に関する完備化 の整数環 に対しても、全く同じ形の命題が成り立つ。
この一般化により、数体 上の方程式を各素イデアル での局所的な問題に分解して調べるという戦略が正当化される。
局所大域原理(ハッセ原理)の出発点。大域的な解の存在を、各完備化での局所解の存在に帰着させる考え方。
の素イデアル を例にとろう。 上の完備化 は の拡大体であり、 における方程式の可解性は 上での情報から判定できる。
重根の場合
ヘンゼルの補題の条件 が満たされない場合、つまり が の重根である場合は、状況が複雑になる。
と の場合を見てみよう。 で だが で なので、条件 は で成立する。よってヘンゼルの補題の基本形から が従う。
一方 と では で 、 で となり、 は偽だから基本形は適用できない。実際、 からの単純な持ち上げはうまくいかない。この場合は を満たす が存在するか(つまり に解があるか)を直接調べる必要がある。 だから解は存在せず、 が結論される。
ならば持ち上げは自動的。ヘンゼルの補題が直接適用でき、解は一意に定まる。
のとき、基本形では判定できないことがある。より高い精度での初期近似が必要になるか、あるいは解が存在しない。
代数的整数論における役割
ヘンゼルの補題は代数的整数論のいくつかの場面で本質的に使われる。
素イデアルの分解を調べる際、有理素数 が数体 でどう分解するかは、 の最小多項式 を 上で因数分解すればわかる(デデキントの定理)。この因数分解を 上に持ち上げるのがまさにヘンゼルの補題であり、 の 上の互いに異なる既約因子がそれぞれ 上の既約因子に持ち上がる。
| 応用先 | ヘンゼルの補題の役割 |
| 素イデアル分解 | の因数分解の持ち上げ |
| 進体の拡大分類 | 不分岐拡大の構成 |
| 局所大域原理 | 局所解の存在判定 |
| 二次形式の 進的分類 | 進整数上での等価性判定 |
局所体の理論では、 の不分岐拡大が の拡大体を持ち上げることで構成されるが、これもヘンゼルの補題の応用である。 は の分解体だから、この多項式の根をヘンゼルの補題で に持ち上げれば の 次不分岐拡大が得られる。
ニュートン法という解析的な発想が、整数論の代数的構造と融合して強力な道具になる――ヘンゼルの補題はその好例であり、 進的な世界を自在に操るための基本技法として、代数的整数論の至る所に浸透している。