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掛ける順序が絡む場所だけ壊れる〜行列の指数関数と連立微分方程式

の解は です。未知数が並んで になっても、 と書けます。

記号の見た目はそのまま。ただし は成り立ちません[4]。行列が掛ける順序を選ぶためです。

どこまでがスカラーと同じで、どこから違うのか。 を実際に計算しながら見ていきます。

定義

スカラーの級数をそのまま持ちこみます[1]。

と約束します。無限和なので、まず収束を確かめる必要がある。

行列のノルムには という性質があります。作用素ノルムをとればこれが成り立つ。

右辺を足すと で、有限の値です。したがって級数は絶対収束し、どんな正方行列でも が定まります[2]。

を入れた についても同じで、すべての で収束します。

収束の証明は、スカラーの が全域で収束する話をそのまま写したものです。

効いているのはノルムの劣乗法性だけ。行列の中身には何も仮定していない。

微分すると が出る

項別に微分します。

を前にくくり出しました。後ろにくくっても同じで、 とも書けます。 と のべきは可換だからです。

これで が を満たすことが分かります。 で なので、初期値も合う[2]。

解がこれ 1 つであること

を任意の解とし、 を考えます。

と は可換なので、2 項が打ち消して 。 は定数ベクトルです。

なので 。両辺に を掛けて になります。

を使いました。 と は可換なので、この 1 本だけは安全に使える等式です。

が崩れる例

次の 2 つを用意します。

どちらも 2 乗すると零行列なので、級数は 2 項で止まります。

一方 は 2 乗すると単位行列になります。偶数乗が 、奇数乗が なので、級数が双曲線関数に分かれる。

まったく別の行列です。 であることが、そのまま食い違いになって出ました[4]。

可換なら成り立ちます。証明では級数の積を展開して二項定理を使いますが、その並べ替えに が要ります。

計算法 1:対角化する

と書ければ、 なので級数がそのまま移ります[4]。

は対角成分を指数関数にするだけ。固有値を並べれば終わりです。

例:対称行列で計算する

固有値は と 、固有ベクトルは と です。

を入れると対角成分が 、非対角成分が になります。単位行列に戻り、確かに合っている。

計算法 2:スカラーとべき零に分ける

対角化できない場合の定番です。 と分け、 が何乗かで零行列になるようにします[2]。

はどんな行列とも可換なので、指数を分けられます。

なら、級数は 項で止まります。無限和が有限和になる。

例:ジョルダン細胞

次でも同じ要領です。

の多項式が現れました。固有値が重なって固有ベクトルが足りないとき、この形になります。

計算法 3:ケイリー・ハミルトンを使う

次の行列は自分の特性多項式を満たします。 が 以下で書けるので、級数のすべての項が低次に落ちる。

係数 は、固有値ごとに次のスカラーの等式を解いて決めます。

固有値が重なるときは、この等式を で微分した式も使います。重根の数だけ式が増えます。

例:2 次でやってみる

さきほどの対称行列でもう一度計算します。固有値は と でした。

引き算して 、代入して です。

の対角成分を計算します。

対角化で出した答えと一致しました。固有ベクトルを求めずに済むのが、この方法の利点です。

計算法 4:ラプラス変換で出す

の両辺を変換すると となり、。

つまり を逆変換すれば が出ます。

各成分を逆変換します。 が 、 が 。

回転行列になりました。 が反対称のとき、 は直交行列になります。長さを変えない変換です。

相図で見る

が何をしているかは、平面上の点の動きを追うと見えます。固有値の種類で、軌道の形が変わる。

行列を 1 つ決めると、平面のすべての点の動きが同時に決まります。 はその流れを 秒ぶん進める写像です。

使える等式と使えない等式

等式成り立つ条件
つねに
つねに
つねに
つねに
のときだけ

4 番目は見落とされがちですが、有用です。 は指数関数の値なので決して にならない。 が必ず正則であることが、これで分かります。

証明は三角化して見ます。 を上三角に変換すると、対角には固有値 が並ぶ。 の対角は になり、行列式はその積です。

右辺があるとき

を解きます。 を掛けて、積の微分にまとめる。

から まで積分し、 を掛け戻します。

第 2 項をデュアメルの公式と呼びます[2]。時刻 に加わった力が、残りの だけ流されて届く、という読み方ができます。

1 階のスカラー方程式で積分因子を使うのと、まったく同じ手順です。

例:一定の力を加える

回転を生む行列に、一定の力を加えます。初期値は とする。

は、回転行列の第 2 列そのものです。

ばねに一定の力を加えたときの応答です。中心がずれた円を描きます。

級数をそのまま計算してはいけない

定義どおりに級数を打ち切る方法は、数値計算では使えません[3]。

が大きいと項数が足りず、しかも途中の項が巨大になって桁落ちを起こします。答えが小さくても、計算の途中で を超える値が出ることがある。

固有ベクトルを使う方法も安全ではありません。固有値が近いと固有ベクトルの行列がほとんど特異になり、 で誤差が拡大します。

実際に使われるのはスケーリングと 2 乗です[3]。

を大きくして を小さくし、そこでパデ近似を当てる。あとは 2 乗を 回くり返します。

手で計算するとき

対角化、べき零への分解、ケイリー・ハミルトン。固有値が分かれば正確な式が出る

機械に計算させるとき

スケーリングと 2 乗。固有値を求めず、ノルムを小さくしてから近似する

正確な式が欲しいのか、数値が欲しいのか。目的で方法が変わります。

物理での顔

量子力学の時間発展は で書けます。 がエルミートなら はユニタリになる。

確かめは短くて、 です。 なので指数の肩が打ち消し合い、 になります。

指数の肩どうしが可換なので、ここでは を使ってよい。可換性が効く場面です。

制御工学では を状態遷移行列と呼びます。 がすべての固有値で成り立てば、系は原点へ収束する。

の固有値が と のとき、 の値はいくつですか。

__RESULT__

で、トレースは固有値の和なので です。固有ベクトルも の成分も要りません。指数関数の値なので にならず、 はつねに正則だと分かります。

級数で定義し、微分すると が出る。ここまではスカラーと同じで、崩れるのは掛ける順序が絡む場所だけです。

参考

Bruce Ikenaga. *The Exponential of a Matrix*. Millersville University.
Jiří Lebl. *Matrix exponentials*. Notes on Diffy Qs: Differential Equations for Engineers.
Cleve Moler and Charles Van Loan. Nineteen Dubious Ways to Compute the Exponential of a Matrix, Twenty-Five Years Later. SIAM Review 45 (2003), 3-49.
Matrix Exponential. Wolfram MathWorld.
$\mathbf{x}' = A\mathbf{x}$ の解は $\mathbf{x} = e^{At}\mathbf{x}_0$ です。級数 $\sum A^n/n!$ はノルムの劣乗法性だけで絶対収束し、項別に微分すると $Ae^{At}$ が出る。$e^{-At}\mathbf{x}$ の微分が $\mathbf{0}$ になることから、解がこれ 1 つだと決まります。壊れるのは $e^{A+B} = e^Ae^B$ のほうで、2 次の反例では $\cosh 1$ が現れて食い違う。対角化、スカラーとべき零への分解、ケイリー・ハミルトン、ラプラス変換の 4 通りで $e^{At}$ を計算します。$\det e^A = e^{\mathrm{tr}A}$ から正則性が出て、右辺があるときはデュアメルの積分になる。数値計算で級数を打ち切ってはいけない理由まで。