レゾルベントとノイマン級数
作用素 のスペクトルを調べるとは、 が可逆かどうかを ごとに判定する作業だ。可逆であるような の集合がレゾルベント集合 であり、そこでの逆作用素 をレゾルベントと呼ぶ。では、このレゾルベントを具体的にどう構成するのか。ここでノイマン級数が登場する。
等比級数からの類推
実数の等比級数の公式を思い出そう。 のとき、
が成り立つ。左辺は の逆数であり、右辺は の累乗を無限に足し合わせた級数だ。この公式の本質は「 が十分小さければ、 の逆元を級数展開で構成できる」という点にある。
ノイマン級数は、この発想をそのまま作用素に持ち込んだものだ。スカラー を有界線形作用素 に、乗算を作用素の合成に、絶対値をノルムに置き換えればよい。
ノイマン級数の定理
バナッハ空間 上の有界線形作用素 が を満たすとき、 は可逆であり、その逆作用素は
で与えられる。ここで (恒等作用素)、 は を 回合成した作用素を意味する。
ならば
ならば
なぜこの級数が収束するのか。 であり、 なので は等比級数として収束する。バナッハ空間の完備性がここで効いてくる。ノルムの和が有限に収まる(絶対収束する)ならば、作用素の和自体も収束先をもつことが保証されるのだ。
収束先が本当に の逆作用素であることは、部分和 に対して が成り立ち、 で となることから確認できる。これはテレスコーピングと呼ばれる手法と本質的に同じ構造をもつ。
隣接する項が打ち消し合い、端の項だけが残る計算技法。
完備性の役割を改めて強調しておきたい。ノルム空間が完備でなければ、たとえ級数が絶対収束しても和の極限がその空間内に存在する保証がない。ノイマン級数の定理は、作用素の空間がバナッハ空間(完備ノルム空間)であることを本質的に必要とする。
レゾルベントの構成
ノイマン級数を使って、レゾルベント を具体的に構成してみよう。まず のとき、
と因数分解できる。ここで 、すなわち であれば、ノイマン級数の定理により が存在する。したがって、
が成り立つ。
を仮定
が成立
ノイマン級数で を構成
レゾルベント を得る
この結果から、 となるすべての はレゾルベント集合に属することがわかる。対偶をとれば、スペクトル は の範囲に収まる。つまり、スペクトルは複素平面上の半径 の閉円盤の中に閉じ込められている。
スペクトル半径
スペクトルが収まる最小の円盤の半径をスペクトル半径と呼び、 と書く。定義は
であり、先ほどの議論から が直ちに従う。さらに精密な結果として、ゲルファントの公式
が知られている。この公式は、スペクトル半径が作用素ノルムよりも真に小さくなる場合があることを示唆している。
自己共役作用素ではスペクトル半径と作用素ノルムが一致する。ヒルベルト空間上の自己共役作用素 に対して が成り立つ。
上の冪零行列 は だが、固有値は のみなので となる。
レゾルベントの解析的性質
レゾルベント は、 をレゾルベント集合 上の変数とみなすと、 に関する作用素値の解析関数になる。具体的には、 の近傍で
と展開できる。これはスカラーの関数 のテイラー展開の作用素版にあたる。
この解析性から、いくつかの重要な帰結が得られる。レゾルベント集合 は開集合であり、その補集合であるスペクトル は閉集合になる。先ほどのスペクトルが閉円盤に収まるという結果とあわせると、スペクトルはコンパクト集合(有界かつ閉)であることがわかる。
さらに、レゾルベント恒等式と呼ばれる関係式
が成り立つ(ここで )。この恒等式は、異なる に対するレゾルベント同士の関係を結びつけるもので、スペクトル理論の議論で繰り返し使われる基本的な道具だ。
有限次元との対応
ここまでの内容を有限次元と対比して整理しておこう。 行列 の場合、 は余因子行列を で割ることで得られる。分母が になる点、すなわち特性多項式の根が固有値(=スペクトル)だ。
| 性質 | 有限次元 | 無限次元 |
|---|---|---|
| 逆作用素の構成 | 余因子行列と行列式 | ノイマン級数 |
| スペクトルの有界性 | 固有値は有限個 | |
| 解析性 | の有理関数 | 作用素値の解析関数 |
有限次元ではレゾルベントは の有理関数として明示的に書けるが、無限次元ではノイマン級数による級数展開が主要な構成手段となる。どちらの場合も「逆作用素が存在しない点がスペクトルである」という基本的な枠組みは同じであり、ノイマン級数はその枠組みを無限次元で実行可能にする道具だといえる。