和を積に直すと因数分解できる(和積の公式と三角方程式)
といった足し算の式は積の形にすると解きやすくなります。
積が になるのは、 または が のとき。和積公式は、三角関数の式を因数分解する道具ともいえますね。
平均と差の半分
次の 4 つを和積の公式といいます。
右辺に並ぶ角は と の 2 つだけです。平均と、差の半分。
この 2 つは加法定理からたどれます。 の左辺の角を 、 と呼ぶと、 と の連立になり、解くと 、 になります[3]。
足し算の では平均のほうに がつき、引き算にすると と がいれかわる。 の引き算だけ、先頭に がつきます。
どれがどれだったか怪しくなったら、 を入れてみます。引き算の 2 つは左辺が になり、差の半分も なので、 が差の半分についている式だけが で消える。消えたのが引き算の 2 つなら、位置は合っています。

平均は真ん中に立ちます。そこから までの距離が差の半分にあたる。
例:
平均は 、差の半分は 。
加法定理を使っても同じ値になります。、 なので、足すと が打ち消し合って が残る。
加法定理は 2 つの角を別々に展開してから足す道具で、和積は足し算の形のまま 1 度で書きかえる。
例:
の引き算なので先頭が 。平均と差の半分は前の例と同じです。
は に、 は に等しいので、引くと今度は のほうが消えます。順を逆にした なら符号が変わり、 になる。
例: で
平均は 、差の半分は で、 の足し算なので両方に がつく。
積が なので と に分かれます。ここで見落としやすいのが、前者の角が ではなく になっている点。
が から まで動くあいだ、 は から まで動きます。範囲が 2 倍に伸びるぶん、拾う解も 2 倍になる。 に対応する は、 の 4 つです。
からは の 2 つ。重なりがないので、合わせて 6 つになる。
同じ式を和の形と積の形で描くと、解の位置の読みやすさが変わります。
同じ手順は、ほかの式でも変わりません。
足し算のままでは因数分解できない
和積で積に直す
それぞれを と置く
置きかえた角の範囲を伸ばして解を拾う
引き算の式では、重なりが起きることもある。
で の解はいくつありますか。
- 個
- 個
- 個
例: の符号
になる場所だけでなく、符号も同じ手で読めます。平均は 、差の半分は 。
2 つの の符号を別々に調べ、かけ合わせれば全体の符号が決まります[3]。
例: なら は積になる
前の 2 項に和積を当てると になります。 なので となり、 は に変わる。
残る は 2 倍角で です。同じ関係から なので、こちらも を持つ。
全体を でくくると、残るのは 。これにもう一度和積を当てると になる。
正三角形で確かめます。 なら左辺は 、右辺は で一致する。
和積を 2 回使うのが、三角形の恒等式 を示すときの定番です。
1 回目で 2 項をまとめ、 を差しこみ、2 回目で残りをくくる。
対数がなかった時代の計算法
この 4 つは、逆向きに読むこともできます。 のように、積を和に落とす形。
対数がまだなかった 16 世紀の天文計算では、こちらの向きが本命でした。名前もプロスタファイレシスといい、ギリシャ語の足し算と引き算をつないだ語になっている。
手順を追ってみます。 を計算したいとき、まず余弦の表から と を見つける。
角を足した と、引いた の余弦は と 。平均をとると で、これが求める積になる[1]。使ったのは表引きと足し引きで、かけ算は一度もありません。
最初の式を書いたのは Johannes Werner で、1510 年ごろとされます[1]。ただし出版はされず、人づてに広まる。1580 年にウラニボルグを訪ねた Paul Wittich が、Tycho Brahe にこの計算法を教えました[2]。
誰の発明かは当時から争いになります。Brahe も自分の役割を主張しました。後世が選んだのは、最初に印刷した Ursus のほう[2]。
この計算法の使い手だった Napier と Bürgi が、のちに対数を作ります。求められていたのは、かけ算を足し算に変える方法。三角関数の表がその最初の答えになりました。
記事で使ったのは、その裏返しの向き。積を和にすれば計算の道具になり、和を積にすれば方程式を解く道具になります。












cos の引き算なので −2sin2θsinθ=0 になります。sin2θ=0 からは 2θ=0, π, 2π, 3π に対応して θ=0, 2π, π, 23π の 4 個、sinθ=0 からは θ=0, π の 2 個です。後者は前者にすべて含まれるので、答えは 4 個になります。