正則行列と逆行列|存在条件・求め方・幾何的意味
逆行列が存在する行列を正則行列と呼ぶ。正則性は連立一次方程式が一意に解けるかどうかと直結しており、行列のもっとも基本的な性質の一つである。だが「逆行列をもつ」という条件は、計算上の便利さにとどまらない。行列を空間の変換とみなすと、正則性は「その変換がもとに戻せるか」という一点に集約される。以下では定義から出発し、正則性が幾何的に何を意味するのか、そしてなぜ列ベクトルの一次独立が鍵になるのかを、証明を添えて追う。
正則行列の定義
次正方行列 に対して、( は単位行列)を満たす行列 が存在するとき、 を正則行列または可逆行列と呼ぶ。この は の逆行列であり、 と書く。
逆行列は、存在するならただ一つに定まる。実際、 と がともに の逆行列だとすると、
となって両者は一致する。この一意性は、あとで性質を証明するときに何度も使う、地味だが効く事実である。
行列は線型写像である
正則性の意味をつかむには、行列を数の表ではなく写像として見るのがよい。 次正方行列 は、ベクトル を へ移す線型写像を定める。行列の積 は写像の合成に、単位行列 は何もしない恒等写像に対応する。
この見方では、逆行列とは逆写像にほかならない。 が を へ動かすなら、 はそれをもとの へ引き戻す。したがって が正則であることは、写像 が全単射である、つまり一対一かつ上へ、であることと同じである。空間の点を重ねたり押しつぶしたりせず、過不足なく並べ替える変換だけがもとに戻せる。
列ベクトルは、この写像の骨格を握っている。標準基底 の像 が、ちょうど の各列に等しいからである。基底がどこへ移るかを決めれば線型写像は完全に決まるので、列ベクトルは変換のすべてを符号化しているといってよい。
「列ベクトルが一次独立」の意味
の列を とすると、任意の に対して次が成り立つ。
つまり は列ベクトルの一次結合であり、 による像の全体は列ベクトルの張る空間(列空間)に等しい。ここから、列の一次独立性が正則性そのものだと見えてくる。
列ベクトルが一次独立であるとは、 が のときしか起きないことをいう。これは の解が に限ること、すなわち写像がつぶれない(一対一である)ことと同じである。もし異なる二点 が同じ像に移れば となり、独立性に反するからだ。
正方行列では、この一対一性が自動的に全単射を導く。 個の一次独立なベクトル は の基底をなし、その張る空間は 全体になる。像が空間全体を覆うので写像は上への写像でもあり、あわせて全単射、すなわち正則となる。逆に列が従属していれば、ある列が他の一次結合で書けてしまい、像は次元の低い部分空間へ縮む。「列が一次独立」とは、変換が空間をどの方向にもつぶさない、という幾何的条件の代数的な言い換えにほかならない。
正則性の同値条件
以上を踏まえると、 次正方行列 について次の条件がすべて同値であることは、ばらばらの事実ではなく一つの絵の別々の断面だとわかる。
つながりの中心にあるのは階数である。 は像の次元、すなわち一次独立な列の本数を表す。階数・退化次数の定理 から、 と ( が自明解のみ)は同値になり、これは列の一次独立と一対一性に直結する。像が全体を覆うことは がつねに解けることであり、一対一性はその解が一意であることを保証する。行列式が でないことは、次節で見るように、この「つぶれなさ」を体積の言葉で述べたものにほかならない。行と列の対称性は、列階数と行階数が一致するという事実 から従う。
行列式による判定
もっとも直接的な判定は行列式の計算である。 なら は正則、 なら正則でなく、このとき を特異行列と呼ぶ。行列式が判定に使えるのは、それが列ベクトルの張る平行体の符号つき体積だからである。列が一次独立なら平行体はつぶれず体積は にならず、従属ならぺしゃんこになって体積は になる。 は写像 が体積を何倍に拡大するかを表す係数でもあり、 は空間を低次元へ押しつぶすことを意味する。
2 次の場合、逆行列は次の式で与えられる。
これが本当に逆行列であることは、掛けて確かめればよい。
分母の が行列式であり、これが でないときに限って式が意味をもつ。行列式が消える瞬間に逆行列も消えることが、式のうえではっきり見える。
正則行列の性質と証明
正則行列には次の性質がある。いずれも逆行列の一意性と定義だけから、短く証明できる。
一つ目は、 自身が の逆行列になっていることからわかる。 は、 が の逆の条件を満たすと読める。一意性より である。
二つ目は、積 が の逆になることを直接確かめればよい。
逆順に掛けても となる。順序が入れ替わるのは、服を着た順と脱ぐ順が逆になるのと同じで、合成した変換を巻き戻すには最後の操作からほどく必要があるからだ。
三つ目は、 の両辺を転置すればよい。 と から が出て、 が の逆行列だとわかる。
四つ目は、行列式が積を保つ性質 を使う。 だから、 となる。この式は同時に、 が正則の必要条件であることも示している。
逆行列の求め方
具体的に逆行列を求めるには、掃き出し法(ガウス・ジョルダン法)が使いやすい。 の右に単位行列を並べた を作り、行基本変形だけで左半分を にすると、右半分に が現れる。
これが成り立つ理由は、行基本変形が基本行列を左から掛ける操作だからである。変形の列を とまとめると、 は を意味する。同じ変形を に施せば が得られる。左半分を へ均す操作が、右半分で自動的に を組み立てているわけである。
一般の公式もある。余因子 を並べた行列の転置を随伴行列 と呼び、逆行列は次のように書ける。
2 次の逆行列の公式は、これを に当てはめた特別な場合にすぎない。たとえば次の行列は なので、公式から逆行列がそのまま求まる。
実際に掛ければ単位行列に戻る。
特異行列の幾何
の特異行列では、正則行列で成り立った話がすべて裏返る。列ベクトルは一次従属になり、写像は を次元の低い部分空間へつぶす。つぶれた先へは戻る道がないので、逆行列は存在しない。
つぶれの証拠は核に現れる。 のとき は 以外の解をもち、その解空間 が写像で へ潰される方向を表す。たとえば
は第二列が第一列の 倍で、 である。この写像は平面全体を直線 の上へ押し込め、 の向きをまるごと へ潰す。方程式 は、 がこの直線に乗っていれば解が無数にあり、乗っていなければ一つもない。一意に解けるという正則行列の長所が、ここでは完全に失われている。
正則と特異の対比
二つの世界を並べると、正則性がどれほど強い条件かがはっきりする。
写像は全単射で、空間をつぶさない。列は基底をなし、体積は 倍される。 はつねに一意に解け、逆行列がある。
写像は低次元へつぶれ、核が非自明になる。列は従属で、体積は 。 は解が無数か皆無で、逆行列はない。
判定のまとめ
代表的な判定条件を、正則の場合と特異の場合で対照する。
| 判定項目 | 正則 | 特異 |
|---|---|---|
| 行列式 det A | 0 でない | 0 |
| 階数 rank A | n | n 未満 |
| Ax = 0 の解 | x = 0 のみ | 非自明な解あり |
| 列ベクトル | 一次独立 | 一次従属 |
| 幾何的な効果 | 体積を保つ | 低次元へつぶす |
正則性は、逆行列の存在という代数的な条件でありながら、写像が空間をつぶさないという幾何的な条件でもあり、列ベクトルが基底をなすという線型独立の条件でもある。同じ一つの事実を、行列式・階数・核・体積のどの角度から眺めても、たどり着く結論は変わらない。この一貫性こそが、正則行列を線型代数の中心に据える理由である。












