掛け算のあるノルム空間からバナッハ環と C* 代数へ
ノルム空間に掛け算を足す。それだけで、可逆性やスペクトルの話が代数の言葉で書けるようになる[1]。
条件は つだけである。 を課すと、掛け算が連続になる。
さらに対合と を足すと 代数になる。このときノルムは代数の構造だけで決まってしまう[2]。
バナッハ環
複素数体上の結合的な代数 が、完備なノルムをもつとする。ノルムが劣乗法的なら、 をバナッハ環という[1,3]。
単位元 があって のとき単位的という。掛け算が可換なら可換バナッハ環である。
劣乗法性があるので、掛け算は連続な写像になる。ノルムと代数が噛み合う最小限の条件になっている。
例をいくつか
| バナッハ環 | 掛け算 | 性質 |
|---|---|---|
| 各点の積 | 可換・単位的 | |
| 合成 | 非可換・単位的 | |
| 畳み込み | 可換・単位元なし | |
| 円板環 | 各点の積 | 可換・単位的 |
は上限ノルムで、 から劣乗法性が出る。作用素の空間 では合成が掛け算になる。
の畳み込みには単位元がない。デルタ関数が必要になるが、それは可積分な関数ではないためである[3]。
ノイマン級数
収束の理由は劣乗法性にある。 なので、ノルムの和が等比級数でおさえられる。
完備性から絶対収束する級数は収束する。 なら である。
が に近づくと、この評価は発散する。可逆性が壊れる手前で、逆元がいくらでも大きくなる。
可逆元は開集合をなす
この評価から、可逆元の集合が開集合だと分かる[1]。
が可逆で なら、 も可逆である。 と書き、括弧の中にノイマン級数を当てればよい[3]。
逆元をとる操作も連続になる。可逆元の全体は位相群になっている[4]。
スペクトル
が可逆でないような を集めたものをスペクトルという[1]。
なら にノイマン級数が使えるので、可逆になる。
したがって は半径 の閉円板に入る。可逆元が開集合なので は閉、合わせてコンパクトである。
空にならないことも言える。空だとレゾルベントが全平面で有界な解析関数になり、リウヴィルの定理に反する[1]。
スペクトル半径はノルムの 乗根で書ける[3]。
ゲルファント・マズールの定理
スペクトルが空でないことから、強い結論が出る[4]。
でない元がすべて可逆な複素バナッハ環は、 と等長同型になる。
理由は短い。 をとり を選ぶと、 は可逆でない。仮定からそれは しかありえない。
つまり である。すべての元がスカラー倍になり、環は そのものになる[4]。
可換ならゲルファント変換
可換で単位的なバナッハ環では、元を関数に変える写像がある[1]。
指標とは、 でない乗法的な線形汎関数 のことである。指標の全体を と書く。
を の上の関数 に移す。これがゲルファント変換である。値域はスペクトルに一致する[1]。
で試すと分かりやすい。指標は点での評価しかないので、 は そのものになる。ゲルファント変換は恒等写像である。

C* 代数
対合 をもつバナッハ環で、次の等式が成り立つものを 代数という[2,3]。
恒等式と呼ばれる。劣乗法性からは しか出ないので、これは強い要求である。
例はすでに手の中にある。ヒルベルト空間の有界作用素の全体 、コンパクト作用素の全体、、そして 次の行列環である[2]。
ノルムが代数で決まる
恒等式があると、ノルムがスペクトル半径から復元できる[2]。
自己共役な元では である。くり返して 乗根をとると が出る。
一般の元は に落とせばよい。
右辺はスペクトル半径なので、代数の構造だけで決まる。つまり ノルムは つしか入らない[2]。
この事実から、 準同型はいつでも縮小写像になる。連続性を仮定しなくても、自動的についてくる[2]。
例:2 次の行列で確かめる
行列環で 恒等式を見る。
の固有値は と なので である。よって になる。
いっぽう 自身のスペクトル半径は である。 が正規でないので、 になっている。
恒等式が効くのは の側だと分かる。この落とし方があるので、正規でない元も扱える。
掛け算とノルムが噛み合う。ノルムの入れ方には自由度がある
対合と恒等式が加わる。ノルムは代数から一意に決まる
ゲルファント・ナイマルクの定理
代数の姿を決める定理が つある[2]。
可換な 代数は、ある局所コンパクト空間 上の と 同型になる。ゲルファント変換がその同型を与える。
一般の 代数は、あるヒルベルト空間の上の の閉部分代数と 同型になる。
可換な C* 代数
関数の空間として実現できる
一般の C* 代数
作用素の空間の中に実現できる
可換なら関数、非可換なら作用素。 つの世界が同じ枠に収まっている[2]。
バナッハ環で のとき、 の上からの評価はいくつになるか。
例:円板環でスペクトルを出す
円板環 は、閉単位円板で連続、内部で正則な関数の全体である。上限ノルムを入れる。
元として をとる。 が可逆になるのは、 がこの環に入るときである。
なら円板の中に極が来るので入らない。 なら極が外にあるので入る。
スペクトルは閉単位円板になった。ノルムも なので、 である。
例:畳み込みとフーリエ変換
に畳み込みを入れた環では、ゲルファント変換がフーリエ変換になる[1]。
指標は各 ごとに つずつあり、次の形で書ける。
乗法的だという条件が、畳み込みが積に変わるという性質そのものになっている。
指標の空間が と同一視でき、 はふつうのフーリエ変換である。抽象的な変換が、よく知る変換と重なった。
例:ウィーナーの定理
絶対収束するフーリエ級数の全体を考える。係数が に入る関数の集まりである。
畳み込みを掛け算にするとバナッハ環になる。指標は円周上の点での評価なので、指標の空間は円周である。
ここでゲルファント理論を当てる。元が可逆であることと、対応する関数が円周上で にならないことが同値になる[1]。
言いかえると、絶対収束するフーリエ級数が決して にならないなら、その逆数もまた絶対収束するフーリエ級数になる。
ウィーナーの定理と呼ばれる主張である。もとの証明は長いが、可換バナッハ環の枠に乗せると数行で終わる。
検算
劣乗法性は、掛け算を定めたら最初に確かめる。 が崩れると、以降の議論がすべて止まる。
恒等式は で試す。行列なら固有値を計算し、最大値がノルムの二乗になるかを見ればよい。
スペクトルを求めたら、半径が 以下に収まっているかを確かめる。はみ出していれば計算違いである。
よくある誤り
掛け算を つ足すだけで、解析の道具が代数の言葉に翻訳されていく。 恒等式まで進むと、ノルムさえ代数に吸収される。









ノイマン級数から ∥(1−a)−1∥≤n≥0∑∥a∥n=1−1/21=2 である。21 は ∥a∥ そのもの、4 は 1/∥a∥2 ととり違えた値になる。