クルルの定理(単位元があれば極大イデアルは必ずある)
でない単位元つきの環には、極大イデアルが少なくとも 1 つあります[2]。クルルが 1929 年に、有限性の条件を外した環のイデアル論を立てたときに置いた定理です。当時はツォルンの補題がまだなく、超限帰納法で示された。
証明はツォルンの補題を一度あてるだけで終わる。短いのに、単位元を落とすと主張そのものが偽になります。
そのうえこの定理は、選択公理と同値です[3]。「必ずある」と言い切れるのに、その 1 つを書き下せないことがあるのは、ここに理由がある。
強い形
実際に示されるのは、もう少し強い主張です[6]。
でない環 には極大イデアルが存在する。
の真のイデアル は、どれもある極大イデアルに含まれる。
強い形で ととれば弱い形になる。 なら は真のイデアルだから、そのまま当てはまる。
可換でない環でも、左イデアルだけ、右イデアルだけを見れば同じ証明が通ります。
ツォルンの補題
半順序集合 が空でなく、 のどの鎖も の中に上界を持つなら、 には極大元があります[5]。
鎖とは、どの 元も比べられる部分集合のこと。上界とは、鎖のどの元よりも大きい の元です。
極大元は「これより真に大きい元がない」元であって、「すべての元より大きい元」ではありません。最大元ととり違えると、この先の議論が合わなくなる。
ツォルンの補題は、選択公理とも整列可能定理とも同値です[1]。ZF の中では、どれを公理にとっても残りが定理になる。
証明
を の真のイデアルとします。 を含む真のイデアル全体を と置き、包含関係で順序を入れる[1]。
だから は空ではありません。残るのは、鎖に上界があることの確認です。
鎖 をとり、和集合 を考える。これが上界の候補になります。
がイデアルになるのは、 が鎖だからです。 なら 、 となる段があり、鎖の中では片方がもう片方を含む。大きいほうに両方が入るため、 も もその段に入る。
一般の族では、この議論が通りません。 は と を含みますが を含まず、イデアルになっていない[1]。
残るのは です。ここで単位元が効く。
イデアルが を含めば、どの についても がそのイデアルに入り、環全体に一致する。裏返すと、真のイデアルは を含まない。
鎖のどの段も を含まないため、和集合も を含みません。したがって で、 が言える。
ツォルンの補題から に極大元 があります。 を真に含む真のイデアルがあれば に入るはずで、極大性からそれはない。
は の極大イデアルで、 を含んでいます。
弱い形から強い形を導く
上の証明は強い形を直に示しています。弱い形だけを認めた状態からでも、剰余環を経由すれば強い形にたどり着く[1]。
を真のイデアルとすると は でない環で、弱い形から極大イデアル があります。
全射準同型 では、 を含むイデアルと のイデアルが 1 対 1 に対応し、この対応で極大性も保たれる[6]。
これが を含む極大イデアルです。ツォルンの補題を 2 度使う必要はない。
はどこで効くか
という但し書きは飾りではありません。零環には極大イデアルがない。
零環では で、真のイデアルが 1 つもない。証明の が空になり、ツォルンの補題をあてられない。
ツォルンの補題は空の半順序集合に極大元を与えません。 の確認を飛ばすと、ここでつまずきます。
例:、、
の極大イデアルは で、 は素数です。 が体になる。
は素イデアルですが極大ではありません。 が体でないため、 も体にならない。
体 上の では、既約多項式 について が極大イデアルです。 が代数的に閉じていれば は の形しかなく、極大イデアルは点と 1 対 1 に対応する[6]。
には、単項では書けない極大イデアルがあります。 がその 1 つ。
剰余環は で、体だから は極大になる。
一方 は極大ではありません。 は整域ですが体ではなく、 は素イデアルどまり。

と 3 段あり、極大なのは最後だけです。
系:単元でない元は極大イデアルに入る
が単元でないなら は真のイデアルです。 なら が逆元を持つことになる。
強い形をあてると、 を含む極大イデアル があります[5]。単元でない元は、必ずどこかの極大イデアルに入る。
裏返すと、どの極大イデアルにも入らない元は単元です。極大イデアル全体の交わりをジャコブソン根基と呼び、 がそこに入ることと、どの についても が単元であることが同値になります[5]。
系:極大イデアルは素イデアル
が極大なら は体で、体は整域です。剰余環が整域になるイデアルが素イデアルだから、 も素イデアルになる。
逆は成り立たない。 の と の が、素だが極大でない例です。
「 でない環には素イデアルがある」も、これでクルルの定理から従います。ただしこちらの主張は、あとで見るように要求が軽い。
単位元がどこで効くか
証明で単位元を使ったのは 1 か所だけ。和集合が全体に一致しないと言うところです。
「真のイデアルは を含まない」という判定があるおかげで、無限個の和集合でも一度に片づく。単位元がないと、この判定手段が消える[1]。
消えるだけでなく、定理そのものが偽になります。
反例:単位元のない環
を加法群と見て、積をすべて と定めます。分配則も結合則も自動的に満たされ、単位元のない環になる。
積が だから、イデアルであることと加法部分群であることが一致する。極大イデアルを探す問題が、 の極大部分群を探す問題に変わる。
に極大部分群はありません[1]。理由を追う。
が極大部分群なら、商 は自明でなく、真の部分群を持ちません。アーベル群でそうなるのは素数位数の巡回群 に限る。
一方 は割り切れる群で、割り切れる群の商もまた割り切れる群です。 では 倍写像の像が だけで、割り切れない。
矛盾するため、極大部分群は存在しません。
と、目盛りをいくらでも細かくできます。上に届く「最後の 1 つ」が現れない。
商が体にならなくなる
単位元を落とすと、極大イデアルの性質そのものも変わります。 の中で を見ると分かりやすい。
は の極大イデアルです。あいだに入るイデアルがない。
ところが は体になりません。 元の群ですが、積はどちらも に落ちるため。
単位元つきの環なら、極大イデアルで割れば必ず体になりました。この対応が崩れるところにも、単位元の役割が現れる。
加群では有限生成が必要になる
イデアルを部分加群に替えると、話が変わります。 でない加群に極大部分加群があるとは限らない。
を 加群と見れば、上の反例がそのまま使えます。部分加群は加法部分群と同じもので、極大なものがない。
有限生成という条件をつけると、極大部分加群の存在が言えます[1]。 が でないなら、真の部分加群はどれも極大部分加群に含まれる。
クルルの定理の証明と変わるのは、和集合のところだけ。真の部分加群の鎖をとって和集合を作り、そこに が全部入ったとすると、鎖の中の 1 つの段に 個ともそろい、その段が 全体になってしまう。
真の部分加群だったことに反するため、和集合も真の部分加群です。生成元が有限個でないと、この数え上げが使えません。
選択公理と同値
ツォルンの補題を使うのだから、選択公理を認めればこの定理は示せます。問題は逆向き。
スコットが 1954 年に、ブール代数や束についての素イデアル定理を環へ広げる問いを立てました[3]。極大イデアルの存在から選択公理が戻るか、という問い。
ホッジズが 1979 年に、戻ると答えました[3]。論文の題は「Krull implies Zorn」。
示したのはもっと強い形で、「どの一意分解整域にも極大イデアルがある」だけで選択公理が導けます[3]。
筋はこうなる。木とは、各元より下が線形順序になっている半順序集合のこと。枝とは、極大な線形順序部分集合です。

「どの木にも枝がある」は、選択公理と同値です[3]。
木 が与えられたら、有理数体 の上で の元を変数にした多項式環 を組む。これは一意分解整域です。
の線形順序部分集合 ごとに素イデアル ができ、それらの和集合の外で局所化する。
も一意分解整域になる。ここまで選択公理は使っていません[3]。
に極大イデアル があるとすると、 となる がとれて、この が枝になる[3]。
極大イデアルの存在だけを認めて枝をとり出しました。これで「どの木にも枝がある」が言え、そこから選択公理が戻る。
素イデアルなら要求が下がる
同じ形の主張でも、極大を素に替えると必要な原理が変わる。
「 でない可換環には素イデアルがある」は、ブール代数の超フィルター定理と ZF 上で同値で、この定理は選択公理より弱い形として知られています[4]。
極大イデアルのほうは選択公理そのもの。極大か素かという 1 語の違いが、必要な集合論の強さを変えています。
指させないことがある
なら極大イデアルは と書けます。 でも既約多項式を 1 つ選べば済む。
書き下せない例もある。 元体の可算個の直積 を考えます。
有限個の成分だけが である元を全部集めると、真のイデアルになる。これを含む極大イデアルは、 上の主でない超フィルターに対応する。
超フィルター定理は ZF だけでは示せません[4]。主でない超フィルターを 1 つ書き下す手段も、そこにはない。
クルルの定理は「ある」と言い切ります。その 1 つをとり出す手続きまでは与えない。
可算な環なら書き下せる
環が可算で、有限生成イデアルが を含むかどうかを判定できるなら、選択公理を使わずに極大イデアルを組み立てられます[4]。
元を と並べ、 から始めます。 を足せるかどうかを順に見ていく。
になるなら と置き、足さずに次へ進む。そうでなければ と置く。
を足しても が入らないときだけ足す、という手続きです。
どの も真のイデアルだから、和集合 も を含みません。
なら、 と置いた側だったことになり、。
つまり に入らない元を足すと環全体になり、 が極大だと分かります。
も も可算で判定もできるため、この手続きが動く。選択公理がいるのは、元を並べられない大きさになってからです。
ネーター環では事情が少し違う
ネーター環の定義を「空でないイデアルの族に極大元がある」ととれば、極大イデアルの存在はその場で言えます。真のイデアル全体にあてるだけ。
ツォルンの補題は必要ありません。ただし、昇鎖条件からこの極大条件を導く段で、従属選択を使います。
昇鎖条件のかわりに帰納法の原理でネーター性を定義すると、従属選択もいらなくなる[4]。どの条件を定義に採るかで、必要な集合論の道具が変わります。
つまずきやすいところ
単位元は、 がどの真のイデアルにも入らないという判定を 1 つ与えるだけです。その判定 1 つで、無限に伸びる鎖の和集合が環全体に届かないと言い切れ、極大イデアルの存在まで運べます。










