可換環の冪等元とイデアル分解
冪等元は を満たす元であり、環の直積分解やイデアルの分裂と直結する概念です。前回の記事では冪等元と直積の関係を概観しましたが、ここではより詳しく冪等元そのものの性質とイデアル分解への応用を掘り下げます。
冪等元の定義と基本性質
可換環 の元 が冪等元(idempotent)であるとは、 を満たすことです。 と は常に冪等元であり、これらを自明な冪等元と呼びます。
冪等元 に対して もまた冪等元です。実際 が成り立ちます。さらに なので、 と は直交します。この対 を直交冪等元の対と呼びます。
冪等元は零因子と密接な関係にあります。 が自明でない冪等元であれば かつ 、 なので、 と はともに零因子です。対偶をとると、整域には自明でない冪等元が存在しないことがわかります。
ならば も冪等元であり、 が成り立つ。自明でない冪等元は必ず零因子である。
冪等元 が単元であれば です。 の両辺に を掛けると が得られます。したがって自明でない冪等元は単元にはなりえません。
冪等元による環の分解
自明でない冪等元 が存在するとき、 は 2 つの環の直積に分解されます。具体的には、イデアル と を考えると、写像
が環の同型を与えます。ここで は を単位元とする環、 は を単位元とする環です。
全射性は、 に対して とおけば かつ となることから従います。単射性は、 かつ ならば であることからわかります。
直交冪等元の系と完全系
冪等元の対を一般化して、有限個の冪等元による分解を考えます。 が直交冪等元の完全系であるとは、
をすべて満たすことです。このとき環の分解
が得られます。
で具体的に見てみます。 なので中国剰余定理から
であり、直交冪等元の完全系は 、、 に対応する の元です。
| 冪等元 | |||
|---|---|---|---|
確認すると 、、 であり、、 です。
冪等元とイデアルの対応
冪等元 に対して は のイデアルですが、普通のイデアルとは異なる特別な性質を持ちます。 は の直和因子であり、自然な分裂
を与えます。このようなイデアルを直和因子イデアル(direct summand ideal)と呼びます。
逆に、(-加群としての内部直和)が成り立つとき、(, )と書くと は冪等元であり が成り立ちます。
冪等元で生成されたイデアルは特異な性質を持ちます。 のとき、 なので が成り立ちます。このような冪等イデアルは、ネーター環においては冪等元で生成されるイデアルに限られます(中山の補題の応用)。
を満たすイデアルと冪等元で生成されるイデアルが、ネーター環では一致する。
ブール環
すべての元が冪等元である環、すなわち任意の に対して が成り立つ環をブール環(Boolean ring)と呼びます。
ブール環では任意の元 に対して なので が成り立ちます。つまりブール環の標数は です。さらに から ですが、 なので となり、ブール環は必ず可換です。
すべての元が冪等元。標数 2 で必ず可換。 値関数の環として実現できる。
冪等元は特別な元。自明でない冪等元の存在が環の分解可能性を意味する。
ブール環の典型例は、集合 のべき集合 に対称差 を加法、共通部分 を乗法として定めたものです。Stoneの表現定理は、任意のブール環がこの形の部分環に埋め込めることを保証します。
局所環と冪等元
局所環には自明でない冪等元が存在しません。 が局所環 の冪等元であるとき、 です。 ならば は単元なので です。 ならば (もし なら で矛盾)なので は単元、よって です。
この事実の対偶として、自明でない冪等元を持つ環は局所環でないことがわかります。さらに強く、環が局所環であることと「冪等元が のみであり、かつ任意の元が単元またはべき零元のいずれかで表せる」ことは同値です。
可換環 の自明でない冪等元はいくつあるか。
- 0 個
- 1 個
- 2 個
- 3 個
冪等元の持ち上げの詳細
前回の記事で触れた冪等元の持ち上げについて、より具体的な手順を見てみます。ニュートン法的な反復
を用いると、 のべき零次数が各ステップで少なくとも 2 倍になるため、有限回の反復で真の冪等元に到達します。
で を持ち上げる例を考えます。()とすると です。反復を行うと、
なので、もう一回反復すると、
なので冪等元 に到達しました。この例では自明な冪等元にたどり着きましたが、初期値を変えると別の冪等元が得られる場合もあります( に自明でない冪等元があれば)。 は局所環なので自明でない冪等元は存在せず、結果的に か にしか到達しません。
e2≡e(mod12) を満たす e を探すと、e=0,1,4,9 が冪等元です。0 と 1 は自明なので、自明でない冪等元は 4 と 9 の 2 個です。確認すると 42=16≡4、92=81≡9 であり、4+9=13≡1 なので直交冪等元の対をなしています。