分数体(商体)の解説と例|多項式・冪級数・p 進数・関数体・有理型関数
整数の世界には割り算がありません。 は整数になりません。それでも私たちは分数 を作り、有理数 という体を手に入れています。整数の対 を「分数」とみなし、 のように同一視するだけの操作です。
この手続きは整数に固有のものではありません。零因子をもたない可換環、すなわち整域であれば、まったく同じやり方で割り算のできる体を作れます。こうして得られる体を分数体と呼びます。 から を作る操作の一般化です。
以下では構成を一歩ずつ組み立て、体になることを確かめ、多項式・冪級数・ 進数・関数体・有理型関数といった具体例を見てから、普遍性と局所化との関係を追います。
整域とは
出発点となる環の条件を確認します。可換環 が整域であるとは、 であって、かつ零因子をもたないことをいいます。
零因子とは、 でないのに他の でない元と掛けて になる元のことです。整域では、 ならば または が成り立ちます。対偶をとれば、 でない元どうしの積は になりません。
整数環 や体上の多項式環 は整域です。分数体の構成は、この整域の枠内で進めます。
構成の見取り図
分数体の作り方は、有理数を作るときと同じ 4 段階です。
分子と分母の対 を集める
「約分で等しい」対を同一視する
加法と乗法を定める
逆元を与えて体にする
材料は の元の対だけです。 には でないという制限をつけ、割る相手を確保します。あとは同値関係で約分をならし、四則を入れれば体ができあがります。以下、各段階を丁寧に見ていきます。
順序対と同値関係
まず分子と分母の対を用意します。、 の対 を、分数 のつもりで考えます。
異なる対でも、約分すれば等しくなるものは同じ分数を表すべきです。そこで次の同値関係を入れます。
これは を分母払いした形です。 が で確かめられるのと同じ理屈です。分数体の元は、この同値関係による対の同値類 です。
同値関係の検証に整域が効く
が本当に同値関係かを確かめると、ちょうど推移律のところで整域の条件が働きます。ここが構成の急所です。
と を仮定します。それぞれ と です。両者から を消して 、すなわち を導きたいところです。
に を掛けて 、 に を掛けて を得ます。右辺どうしが等しいので 、整理すると です。ここで かつ が整域なので、 が従います。零因子がないおかげで を消せる、というのが決め手です。
加法と乗法
同値類の上に演算を定めます。通分と分数の掛け算の、いつもの規則です。
分母 は 、 と整域性から になりません。だから演算の結果もまた分数の形に収まります。これらが代表元の取り方によらずに定まること、すなわち well-defined であることは、同値関係の定義から順に確かめられます。
こうして分数の全体は可換環になります。零元は 、単位元は です。
局所化としての見方
この構成は、局所化という一般的な操作の特別な場合です。乗法的集合による割り算だと見ると、より広い枠組みに乗ります。
の部分集合 が乗法的集合であるとは、 で、積で閉じていることをいいます。一般の局所化 は、分母を に制限した分数の全体です。分数体はこのうち、、つまり 以外のすべてを分母に許した場合にあたります。
整域では が乗法的集合になります。積で閉じているのは、 でない元どうしの積が零因子のなさから にならないからです。ここでも整域性が土台を支えています。
整域だと同値関係が簡単になる
一般の局所化では、同値関係はもう少し複雑です。整域のときにそれが簡単な形に落ちる理由を見ます。
一般の では、 を「ある があって 」と定めます。零因子があると を掛けてはじめて等しくなる場合があるからです。ところが整域で なら を消せます。
余分な が消えて、条件は だけになります。冒頭で置いた素朴な同値関係は、この簡約の結果だったわけです。
逆元があり体になる
環になった分数の全体が、実は体になります。 でない元がすべて逆元をもつことを確かめます。
分数 が でないのは、分子 のときです。このとき分子と分母を入れ替えた が作れて、これが逆元になります。
なので もれっきとした分数です。どの でない元も逆元をもつので、分数の全体 は体になりました。これを の分数体、または商体と呼びます。
もとの環を含む
分数体は、もとの整域 を部分環として含みます。分母が の分数を通して埋め込めます。
この は環準同型で、しかも単射です。 なら で になるからです。 が整域だからこそ像がつぶれず、 を の中にそのまま埋め込めます。
以後、 を の部分環とみなし、 を単に と書きます。 は に「 でない元の逆数」を付け加えて割り算を可能にした体です。
例: 整数から有理数へ
最初の例は構成の原型です。整数環 の分数体は有理数体になります。
対 ()が分数 、同値関係 が約分にあたります。整数の割り算ができないという不便を、形式的な分数を導入して解消したものが有理数でした。分数体の構成は、この見慣れた手続きをそっくり一般の整域へ移したものです。
例: 有理関数体と代数的な例
多項式環や整数環の拡大に対しても、同じように分数体が定まります。代表的なものを並べます。
| k[x] | k(x)(有理関数体) |
| k[x₁, …, xₙ] | k(x₁, …, xₙ) |
| ℤ[i] | ℚ(i)(ガウス有理数体) |
| ℤ[√d] | ℚ(√d)(二次体) |
の分数体 は、()という有理式の全体で、有理関数体と呼ばれます。多変数でも同様に が得られます。ガウス整数 の分数体はガウス有理数体 、 の分数体は二次体 です。整域を用意すれば、その「有理式」の体がいつでも手に入ります。
既約な分数表示
や では、分数を「これ以上約分できない形」に一意に書けます。この既約表示は、環が一意分解整域であることに支えられています。
一意分解整域では最大公約数がとれるので、分数 の分子と分母から共通因子をくくり出し、互いに素な にできます。単元の取り方を除けば、この既約表示は一意です。 で と約せるのも、 で共通因子を消せるのも、この性質のおかげです。
ただし、既約表示が使えるのは一意分解整域に限られます。分数体自体はどんな整域でも定義できますが、「約分して一番簡単な形」という操作は、環にもっと強い構造があってはじめて意味をもちます。分数体を作れることと、その分数がきれいに約分できることは、別の話だという点に注意が要ります。
例: 形式的ローラン級数
冪級数の環でも分数体が作れて、少し意外な体が現れます。 を 上の形式的冪級数環とします。
の でない元は ( は定数項が でない冪級数、つまり単元)と一意に書けます。分数体でこの逆数をとると になり、負冪 が現れます。結果として得られるのは形式的ローラン級数の体です。
の元は、有限個の負冪から始まる級数 です。冪級数に を付け加えた体だと見ることもできます。整域に割り算を入れる操作が、負冪という新しい要素を生み出しています。
例: 進数
数論に現れる重要な体も、分数体として得られます。 を素数、 を 進整数環とします。
は の逆極限として定まる整域で、 でない元は ( は単元)と書けます。分数体で の逆数を許すと、 進数体が得られます。
形式的ローラン級数のときの が、ここでは素数 の役を果たしています。 に を付け加えたものが で、両者の関係は と の関係の 進版です。有限体上の と も、まったく同じ形の対になっています。
例: 代数多様体の関数体
代数幾何では、分数体が図形の上の関数のなす体を与えます。既約なアフィン多様体 を考えます。
の座標環 は、 が既約であることと整域であることが同値です。その分数体を の関数体といい、 と書きます。
の元は 上の有理関数、すなわち分母が消えない開集合で定義された多項式の比です。 上の超越次数が多様体の次元に一致するという、幾何と代数を結ぶ基本的な事実の舞台にもなります。図形の情報が、座標環の分数体という代数の言葉に翻訳されるのです。
例: 有理型関数
複素解析にも、そっくりの対応があります。連結な領域の上で、正則関数の分数体が有理型関数の体になります。
連結領域では、正則関数の全体は整域です。 でない正則関数どうしの積は、一致の定理から になりません。この整域の分数体が、有理型関数の全体です。有理型関数は局所的に正則関数の比で書け、連結領域では正則関数の環の分数体が有理型関数体に一致します。
正則関数を整数、有理型関数を有理数になぞらえると、対応がよく見えます。極は分母の零点にあたり、割り算を許すことで極をもつ関数まで扱えるようになる、という構図です。 から への一般化が、解析の世界でも働いています。
普遍性
分数体は、具体的な構成とは別に、ある性質だけで特徴づけられます。それが普遍性です。
を整域、 を体とし、単射環準同型 が与えられたとします。このとき を満たす体の準同型 がただ 1 つ存在します。
拡張は で与えられます。分母 を の中で割る、という自然な形です。
を体 に埋め込む方法があれば、それは分数体を必ず経由し、しかも経由の仕方は一意です。分数の分母を の中で逆数にするしか手がないので、拡張が一意に決まります。
普遍性を図で見る
普遍性は、可換な三角形として描くと直観的です。
<div class="ff-fig">
<svg viewBox="0 0 380 210" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" role="img" aria-label="普遍性の可換三角形。R から Frac R への包含、R から K への準同型、Frac R から K への一意な拡張。">
<rect x="0" y="0" width="380" height="210" rx="10" fill="#fafbfc"/>
<g font-family="ui-sans-serif, system-ui, sans-serif" font-size="15" fill="#1b1d22">
<text x="55" y="60">R</text>
<text x="278" y="60">Frac(R)</text>
<text x="300" y="185">K</text>
</g>
<g stroke="#1b4fb8" stroke-width="1.6" fill="none" marker-end="url(#ffa)">
<line x1="80" y1="53" x2="268" y2="53"/>
<line x1="72" y1="70" x2="292" y2="168"/>
</g>
<line x1="300" y1="72" x2="300" y2="165" stroke="#c93c41" stroke-width="1.6" fill="none" marker-end="url(#ffb)" stroke-dasharray="6 4"/>
<defs>
<marker id="ffa" markerWidth="9" markerHeight="9" refX="7" refY="3" orient="auto"><path d="M0,0 L7,3 L0,6 z" fill="#1b4fb8"/></marker>
<marker id="ffb" markerWidth="9" markerHeight="9" refX="7" refY="3" orient="auto"><path d="M0,0 L7,3 L0,6 z" fill="#c93c41"/></marker>
</defs>
<g font-family="ui-sans-serif, system-ui, sans-serif" font-size="13" stroke="#fafbfc" stroke-width="3" paint-order="stroke">
<text x="165" y="44" fill="#1b4fb8">ι</text>
<text x="150" y="140" fill="#1b4fb8">φ</text>
<text x="308" y="125" fill="#c93c41">φ̃</text>
<text x="308" y="142" fill="#c93c41" font-size="11">∃!</text>
</g>
</svg>
</div>.ff-fig { margin: 0; text-align: center; }
.ff-fig svg { width: 100%; max-width: 380px; height: auto; }上の辺が埋め込み 、斜めの辺がもとの準同型 、右の辺が一意な拡張 です。破線と は、この矢印がただ 1 つに決まることを表します。三角形が可換、つまりどちらの道を通っても同じ、というのが です。
最小の体という意味
普遍性は、分数体が「 を含む最小の体」であることを言い換えたものです。
を含むどんな体 をとっても、普遍性により がその中に埋め込まれます。つまり を含む体は、必ず を(同型な像として)含みます。これより小さく を体に埋め込む方法はありません。
分数の分母に の逆数だけを、過不足なく付け加えたものが分数体です。よけいな元は 1 つも入らず、割り算に必要な最小限だけが加わっています。
同型を除いて一意
普遍性のもう 1 つの効能は、分数体が一意に定まることの保証です。
同じ普遍性を満たす体が 2 つあれば、それらは互いに一意な準同型で結ばれ、合成が恒等になるので同型です。したがって は、構成の細部によらず同型を除いて 1 つに決まります。順序対で作ろうと局所化で作ろうと、結果は同じ体です。
普遍性で定義される対象がいつも一意になる、という圏論の一般原理の、わかりやすい実例になっています。
関手性
分数体をとる操作は、環だけでなく準同型にも作用します。整域の間の単射準同型は、分数体の間の準同型を誘導します。
整域の単射準同型 があると、合成 に普遍性を当てて、 が一意に定まります。この対応は合成と恒等を保つので、分数体は関手としてふるまいます。
対象だけでなく写像も込めて整合的に移せることが、普遍性のもたらす構造の良さです。
素体との関係
普遍性の身近な応用が、体の素体です。素体とは、体が含む最小の部分体のことです。
標数 の体 には が埋め込まれ、普遍性からその埋め込みは へ一意に延びます。つまり標数 の体は必ず を素体として含みます。標数 なら素体は です。
どんな体も、 か のどちらかを土台にもつ、という基本的な事実が、分数体の普遍性から自然に出てきます。
分数体は での局所化
局所化の言葉で見ると、分数体は素イデアル での局所化にあたります。整域では が素イデアルだからです。
素イデアル での局所化 は、 の外の元、つまり を分母に許した分数の環です。 ととると となり、これはまさに分数体です。
いちばん大きな乗法的集合で割った極限が分数体、というわけです。整域で が素イデアルなのは、 すなわち が または を導くこと、つまり整域の定義そのものです。
一般の素イデアル での局所化は、もとの環と分数体の中間に位置します。
分母に許す集合が大きいほど、逆数が増えて環は大きくなります。 を除いた は、 だけを除いた より小さいので、 は に含まれます。
は、 に属さない元だけを可逆にした環です。分数体が「すべての でない元」を可逆にするのに対し、局所化は可逆にする範囲を素イデアルで絞った中間段階だと見なせます。
入れ子の包含を図で見る
3 つの環の包含関係を図にします。
<div class="ff-fig">
<svg viewBox="0 0 380 200" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" role="img" aria-label="R が R_p に含まれ、R_p が Frac R に含まれる入れ子の図。">
<rect x="0" y="0" width="380" height="200" rx="10" fill="#fafbfc"/>
<ellipse cx="185" cy="100" rx="165" ry="80" fill="#c93c41" fill-opacity="0.06" stroke="#c93c41" stroke-width="1.5"/>
<ellipse cx="150" cy="100" rx="115" ry="56" fill="#7a52c0" fill-opacity="0.07" stroke="#7a52c0" stroke-width="1.5"/>
<ellipse cx="112" cy="100" rx="60" ry="34" fill="#3468d6" fill-opacity="0.10" stroke="#1b4fb8" stroke-width="1.6"/>
<g font-family="ui-sans-serif, system-ui, sans-serif" font-size="14" stroke="#fafbfc" stroke-width="3" paint-order="stroke">
<text x="112" y="105" fill="#1b4fb8" text-anchor="middle">R</text>
<text x="205" y="105" fill="#7a52c0" text-anchor="middle">Rₚ</text>
<text x="310" y="105" fill="#c93c41" text-anchor="middle">Frac(R)</text>
</g>
</svg>
</div>.ff-fig { margin: 0; text-align: center; }
.ff-fig svg { width: 100%; max-width: 380px; height: auto; }内側から 、、 の順に大きくなります。可逆にする元を増やすたびに環が広がり、最後に 以外をすべて可逆にすると体 に届きます。局所化は、この広がりの途中の駅にあたります。
体は自身の分数体
いちばん端の場合として、 がすでに体だとどうなるかを見ます。何も変わりません。
体 では の元がすべて単元、つまりもとから逆数をもちます。付け加えるべき逆数がないので、局所化しても環は大きくなりません。
分数体をとる操作は、体に対しては恒等的です。割り算がすでにできる場所では、分数体の構成は何もしません。「割り算を可能にする」という分数体の役目が、体では初めから果たされているからです。
整域でないと壊れる
ここまで整域を仮定してきました。この仮定を外すと、構成のどこが壊れるかを見ます。零因子が諸悪の根源です。
が整域でないと、 が乗法的集合になりません。零因子 、(ともに でない)で となると、積が からはみ出すからです。たとえば では で、 と が零因子です。
分母の集合が積で閉じないうえ、同値関係の推移律も先に見たとおり成り立ちません。したがって整域でない環に対して、分数体はそのままでは定義できません。
全商環
整域でない環にも、割り算を部分的に導入する方法はあります。全商環です。
のすべての非零因子の集合を とすると、 は乗法的集合になります。非零因子どうしの積はまた非零因子だからです。この による局所化 を、 の全商環と呼びます。零因子は分母にできないので避け、安全に割れる元だけで割る仕組みです。
が整域なら非零因子はちょうど 以外のすべてなので、全商環は分数体に一致します。全商環は分数体を、整域でない環へ広げた一般化です。
分数体と全商環の比較
分数体と全商環は、対象とする環と得られるものが違います。並べて整理します。
整域に対して定義される。分母は 以外のすべて。結果は必ず体になる。
任意の可換環に対して定義される。分母は非零因子のみ。結果は体とは限らない。
の非零因子は と の単元だけなので、その全商環は 自身で、零因子を含んだままです。体にはなりません。整域という仮定が、結果を体にするための鍵だったことが、この比較からはっきりします。
分数体と超越次数
分数体は、体の拡大を測る土台にもなります。とくに関数体では、超越次数が幾何的な意味をもちます。
は 上に つの超越元 をもち、超越次数は です。 なら超越次数は です。代数多様体 の関数体 では、この超越次数がちょうど の次元に一致します。
分数体をとることで、環の情報が体の拡大の言葉に翻訳され、次元という幾何的な量が代数的に取り出せます。分数体は、単に割り算を足すだけでなく、環と体と幾何を橋渡しする道具でもあるのです。
分数体と剰余環を混同しない
名前が似ているため、分数体(商体)と剰余環(商環 )はよく混同されます。実は正反対の操作です。
分数体 は、 でない元の逆数を付け加えて環を大きくする操作です。埋め込み は単射で、 はそのまま残ります。一方、剰余環 はイデアル を につぶして環を小さくする操作で、全射 により情報が落ちます。
でいえば、 が分数体( を足す)、 が剰余環( を にする)です。局所化が逆数を足すのに対し、剰余環は関係式を足す。向きが逆の操作を、どちらも「商」と呼ぶために紛らわしいだけです。
理解の確認
最後に 1 問。分数体が体になるための条件を思い出してください。
環 の分数体 が体として構成できるための の条件として、必要十分なのはどれですか。
- 可換環である
- 整域である
- 単項イデアル整域である
- 体である











零因子があると R∖{0} が乗法的集合にならず、同値関係の推移律も壊れるので、整域であることが必要です。整域なら構成が最後まで通り体になるので十分です。単項イデアル整域や体は整域の特別な場合で、条件として強すぎます。