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アッバース朝:叔父の血で立ち、母の出自で割れた

アッバース朝は、ウマイヤ朝を倒すときに一つの主張を掲げた。カリフは預言者の一族が継ぐべきである、というものである。その主張のとおりに立ったが、拠りどころにしたのは預言者の叔父の血であり、娘の血ではなかった。この選び方が、革命を支えた人々との亀裂を残した。

叔父の子孫

アッバース家は、ムハンマドの叔父アル・アッバースの子孫である。ハーシム家の一員であり、ウマイヤ家とは別の枝にあたる。預言者の血は引いていないが、その一族には属している。

八世紀の半ば、この家はホラーサーンで秘密の運動を組織した。ウマイヤ朝の課税とアラブ優位に不満を持つイラン系の人々、そしてアリーの家を支持する人々を、同じ旗の下に集めた。旗印は「預言者の家の者へ」という、どちらとも取れる言葉であった。

支持者を裏切る

七五〇年に革命が成る。ところが位についたのはアリーの子孫ではなく、アッバース家のサッファーフであった。アリーの家に期待した人々にとっては、裏切りである。

以後、アッバース朝の歴代のカリフは、アリーの子孫の動きを最も警戒し続けた。血筋の近さで言えば、そちらのほうが正統に近いという理屈が常に成り立つからである。革命の同志が、そのまま最大の脅威になった。

二代目マンスールは運動の指導者アブー・ムスリムを処刑し、七六二年にバグダードを新しい都として築いた。ダマスカスからバグダードへ都が移ったことは、帝国の重心がシリアからイラクとイランへ移ったことを意味する。

二人の子と二つの母

五代目ハールーン・アッラシードの代が、しばしば繁栄の頂点とされる。千夜一夜物語に登場するカリフである。

この人は跡継ぎを二人定めた。まずアミーンをカリフとし、その次にマームーンが継ぎ、マームーンには東方の統治を任せるという取り決めである。兄弟が争わないようにあらかじめ順を決めた形であった。

ところが二人の母が違った。アミーンの母ズバイダはアッバース家の血を引くアラブの女性で、バグダードの宮廷に強い支持を持つ。マームーンの母はペルシア系の女性で、身分は低かった。血筋の上ではアミーンが上であり、任地の上ではマームーンがホラーサーンの軍を握っていた。

内戦

八〇九年に父が没すると、取り決めはすぐに崩れた。アミーンはマームーンの権限を削り、マームーンは東方の兵を率いて西へ向かった。八一二年から翌年まで、バグダードは一年余り包囲される。都は破壊され、アミーンは殺された。

勝ったマームーンは、東方の支持で立ったカリフである。以後、帝国の運営にはペルシア系の官僚と文化が深く入り込んだ。学問の館を設けてギリシアの書物を翻訳させ、天文と数学を保護した。アラブの征服者の帝国から、ペルシアの伝統を継ぐ帝国へ移っていく。

母の出自が兄弟のどちらに軍を与えるかを決め、それが帝国の性格を変えたことになる。

買ってきた兵

マームーンの弟ムータシムの母は、トルコ系の奴隷であった。この人がカリフになると、中央アジアから買い集めたトルコ系の奴隷兵を軍の中心に据えた。部族のつながりを持たない兵は、カリフだけに忠実であるという考えである。

短期的には有効であった。だが数十年のうちに、この兵たちがカリフを立てたり殺したりするようになる。九世紀の半ばには、宮廷の内側で近衛が主導権を握った。かつてのローマの近衛と同じ道である。

名前だけの位

九四五年、イランから来たブワイフ朝の軍がバグダードに入った。カリフは位を保ったが、政と軍は他人のものになった。次にセルジューク朝のスルタンが同じ立場を占める。

カリフは、スルタンに統治の正しさを与える役目に変わった。血筋が力を生まなくなっても、血筋が権威を与えることはやめなかった。実力者は必ず、カリフから任命の書状を得ようとした。

一二五八年、フレグの率いるモンゴル軍がバグダードを落とし、最後のカリフを殺した。生き延びた一族の一人はカイロへ迎えられ、マムルーク朝のもとで名目上のカリフとして続く。

家系図で見ると

アッバース朝の系図は、驚くほど長い一本の線である。三十七人のカリフが五百年つながっている。世界の王朝のなかでも長い部類に入る。

それが可能だったのは、途中から実権がなくなったからでもある。争って奪う価値のない位は、争って絶えることもない。血筋が権威だけを担い、力は別のところにあるという形が、この家系図を長く伸ばした。

預言者の叔父の子孫であるという一点が、五百年にわたって使われ続けた。系図の役目は、力を配ることから、力を持つ者を認めることへ変わっていった。

母は奴隷であることが多かった

アッバース朝のカリフの母は、その大半が奴隷の身分の女性である。買われてきたペルシア人、トルコ人、ギリシア人、ベルベル人がカリフを産んだ。子を産んだ女性はウンム・ワラドと呼ばれ、売られることはなくなり、主の死とともに解放された。

この仕組みには利点があった。妃を有力な部族から迎えれば、その部族が外戚として力を持つ。奴隷の女性であれば、後ろに立つ家がない。カリフの子は、母方の縁を持たずに生まれる。

そのかわり、母の側の格が兄弟の順位に影を落とした。アミーンとマームーンの内戦がそれである。外戚を作らない仕組みが、母の出自を争いの理由に変えたことになる。