一五九八年、モスクワのリューリク朝は男子が絶えた。七百年続いた家である。そのあとの十五年、ロシアでは王位を血縁で主張する者が次々に現れ、外国の軍まで入ってきた。動乱時代と呼ばれる。最後に選ばれたミハイル・ロマノフの資格も血縁だが、その血は驚くほど細い。図の左上にいるアナスタシアという一人の女性が、ロマノフ家の唯一の根拠である。
イヴァン四世は最初の妻アナスタシアを深く愛したと伝えられる。彼女が一五六〇年に死んでから、疑い深さが増したという。
一五八一年、雷帝は口論の末に皇太子イヴァンを杖で打ち、死なせた。有能とされていた長男である。残ったのは、体の弱いフョードルと、七番目の妻が産んだ幼いドミトリーだけになった。
跡継ぎを自分で殺すという点では、ヘロデ大王や織田信長と変わらない。違うのは、雷帝には替わりの子がほとんどいなかったことである。
一五八四年に雷帝が死に、フョードル一世が即位する。政務は妻イリナの兄であるボリス・ゴドゥノフが執った。将軍の妻の兄が実権を握るという、外戚の型そのものである。
一五九一年、ウグリチにいた末子のドミトリーが喉を切って死んだ。てんかんの発作で自分の刃に倒れたと調べは結論したが、ゴドゥノフが殺させたという噂は消えなかった。
一五九八年にフョードル一世が子を残さず死ぬ。モスクワのリューリク家はここで絶えた。
ゼムスキー・ソボルはボリス・ゴドゥノフを選んだ。実務の能力は誰もが認めていたが、リューリクの血はない。あるのは妹が皇后だったという縁だけである。
飢饉が続き、支持は落ちた。そこへ一六〇四年、死んだはずのドミトリーだと名のる男が現れる。ポーランドの貴族の支援を受けていた。翌年ボリスが急死すると、子のフョードル二世は殺され、偽ドミトリーがモスクワへ入った。
偽ドミトリーは一年で殺されたが、次の偽ドミトリーが現れ、さらに三人目まで出た。前の偽者の妻が、次の偽者を夫だと認めるところまでいっている。
血で資格が決まる仕組みでは、血を持たない者が権力を取るには、血を持つ者になりすますしかない。系図が唯一の資格である社会は、系図の偽造にいちばん弱い。
ポーランドがモスクワを占領し、スウェーデンも北から入った。一六一〇年から二年、ロシアには皇帝がいない。
名のる者が絶えなかったのは、信じたい人がいたからでもある。ドミトリーが生きているなら、いまの支配者は簒奪者だということになる。血の正統は、現に権力を持つ者を否定するための道具にもなった。
一六一三年、ゼムスキー・ソボルが選んだのは十六歳のミハイル・ロマノフである。
資格は図のとおりである。雷帝の最初の妻アナスタシアは、ロマン・ザハーリインの娘だった。その弟ニキータの子がフョードル・ロマノフ、その子がミハイルである。つまりミハイルは、雷帝の最初の妻の甥の子にあたる。男系ではなく、婚姻を一度またいだ縁である。
それでも、雷帝と結びつく家として最も名の通ったのがロマノフだった。父フョードルはボリスに修道院へ入れられ、フィラレートの名で総主教になっている。政争の被害者だったことも、選ばれる助けになった。
選んだ側から見れば、強すぎる候補は困る。ミハイルは若く、父は幽閉されており、家に軍もなかった。誰にとっても脅威でない候補が選ばれている。
朝鮮で勢道の家が遠い枝から少年を連れてきて王に立てたのと、選び方が同じである。血の資格は候補を絞るために使われ、その中から最も弱い者が引かれる。
父のフィラレートが一六一九年にポーランドから戻ると、総主教として実権を握った。皇帝の父が教会の頂点に立ち、二人の名を並べて詔が出される。若い皇帝を選んだ側の思惑は、その父が帰ってきた時点で崩れていた。
この図でロマノフ家とリューリク家をつないでいるのは、たった一本の婚姻の線である。線の両端のうち、片方はもう存在しない。
七百年続いた家が絶えたとき、次の三百年を担う家を決めたのは、五十年前に結ばれた一件の結婚だった。系図の細い線は、太い線が切れるまで誰にも見えない。
ミハイルの子アレクセイ、その子がピョートル大帝である。細い線から始まった家が、二代でヨーロッパの列強と並ぶ帝国を作った。選ばれたとき最も弱い候補だったことは、その後の強さと何の関係もなかった。弱い者を選んだつもりの側は、選んだ相手の孫までは見通せない。血で候補を絞るという仕組みは、絞ったあとにその家が何をするかまでは決めてくれなかった。