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ハプスブルク家:戦争ではなく結婚で広げた帝国

戦争は他家に任せておけ、汝幸多きオーストリアよ、結婚せよ。ハプスブルク家を評したこの言葉のとおり、この家は三代の結婚でネーデルラント、スペイン、ボヘミア、ハンガリーを手に入れた。系図がそのまま領土の一覧になる家である。そして同じやり方が、最後にこの家の血を細らせた。

小領主から皇帝の家へ

ハプスブルクはもともとスイス北部の小さな領主である。一二七三年にルドルフ一世がドイツ王に選ばれ、オーストリアを手に入れた。

神聖ローマ皇帝は選挙で選ばれるので、本来は家に固定されない。それでもフリードリヒ三世が十五世紀に半世紀以上在位したあたりから、事実上ハプスブルクの世襲のようになっていく。選挙で選ばれる地位を、婚姻と相続で固めた家督のように扱ったところに、この家の特徴がある。

一度目 — ブルゴーニュ

一四七七年、マクシミリアン一世がブルゴーニュ公国の相続人マリー・ド・ブルゴーニュと結婚した。

マリーの父シャルル突進公がその年の初めに戦死し、一人娘が全遺産を継いだところである。フランス王ルイ十一世も同じ相続人を狙っていた。先に結んだのがマクシミリアンだった。この結婚でネーデルラントがハプスブルクに入る。当時のヨーロッパでもっとも富んだ都市の集まりである。

二度目 — スペイン

一四九六年、その子のフィリップ美公が、カスティーリャとアラゴンの王女フアナと結婚した。同時にマクシミリアンの娘をスペインの王子へ嫁がせる、二重の結婚である。

ここでも偶然が働いた。スペイン側の男子の相続人が相次いで死に、フアナが継承者になったのである。一五〇六年にフィリップが早世し、フアナは精神を病んで幽閉されるが、二人のあいだには息子が二人残っていた。

カール五世が受け取ったもの

長男のカール五世は、四人の祖父母からそれぞれの遺産を受け取ることになった。父方の祖母マリーからネーデルラント、母方からスペインと新大陸、父方の祖父マクシミリアンからオーストリアと皇帝位への道である。

一五一九年に皇帝に選ばれ、日の沈まぬ帝国と呼ばれる版図になった。これを一代で集めたのは、戦争ではなく、三代にわたって相続人と結婚し続けた結果である。

三度目 — ボヘミアとハンガリー

弟のフェルディナント一世は、一五二一年にハンガリー・ボヘミア王家の王女アンナ・ヤギェウォと結婚した。あわせて自分の妹をアンナの兄ラヨシュ二世へ嫁がせている。一五一五年に取り決められた、相互の相続を約する二重結婚である。

一五二六年、ラヨシュ二世がモハーチの戦いでオスマン軍に敗れて戦死した。子はいない。契約どおり、ボヘミアとハンガリーの王位がフェルディナントへ移る。

戦って勝ったのはオスマン帝国で、相続したのはハプスブルクだった。

相続人と結婚するということ

ハプスブルクの婚姻には型がある。相手はいずれも、男子の跡継ぎがいない家の娘だった。マリーもフアナもアンナも、兄弟が死んだために相続人になった女性である。

こうした縁組は、狙って作れるものではない。誰かが死ぬのを待つ必要がある。ハプスブルクがしたのは、有力な家の相続人になり得る娘へ、片端から縁組を仕掛けておくことだった。仕掛けた数のうち、当たりが三度続いたのがこの家の版図である。

家を二つに分ける

カール五世は広すぎる版図を一人で治めることを諦めた。一五二一年に弟へオーストリアを譲り、一五五六年の退位で、スペイン系とオーストリア系に家を分けている。スペイン系は子のフェリペ二世、オーストリア系は弟のフェルディナント一世が継いだ。

分けたあとも、二つの家は互いに結婚を繰り返した。領土を家の外へ出さないためである。ここから血が閉じていく。

閉じた血

スペイン系は、叔父と姪、いとこどうしの結婚を代々重ねた。フェリペ二世は四度目の結婚で姪を娶り、フェリペ四世も姪と結婚している。

その子のカルロス二世は、生まれつき病弱で、噛むことも歩くことも不自由だった。この家に代々現れた下顎の突出は、いまもハプスブルク顎と呼ばれている。カルロス二世に子はなく、一七〇〇年にスペイン・ハプスブルクは断絶した。空いた王位をめぐって、スペイン継承戦争が起きる。

結婚で領土を集めた家が、結婚で血を閉じて絶えた。

オーストリア系も男系が絶える

オーストリア系はマクシミリアン二世ルドルフ二世と続いたが、こちらも一七四〇年のカール六世で男系が絶えた。娘のマリア・テレジアが継ぎ、女子の継承をめぐってオーストリア継承戦争になる。

以後の家はハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれる。名は続いたが、男系は夫の家のものになった。

系図が地図になる

日本の戦国大名も婚姻で同盟を結んだ。しかし婚姻が領土そのものを動かすことは、ほとんどなかった。相続の単位が家であって、国ではなかったからである。

ヨーロッパでは、王位も公国も個人の財産として相続される。だから結婚は、そのまま領土の移転になる。ハプスブルクはこの仕組みを誰よりも徹底して使った。系図をたどることが、そのまま地図をたどることになる家は、ほかにない。