明治のあと、政治と経済の中心にいた家々は婚姻で結ばれていた。財閥の娘が官僚に嫁ぎ、その夫が首相になる。維新の功臣の血が、四代を経て戦後の首相へ届く。この結びつきを閨閥という。図に二本の根を置いた。三菱を起こした岩崎家と、維新の中心にいた大久保利通の家である。
岩崎弥太郎は土佐の低い身分の家から出て、海運で三菱を興した。その娘たちの嫁ぎ先が、そのまま近代の政治につながっている。
一つの家から出た二人の娘の夫が、どちらも首相になっている。加藤も幣原も外務省の官僚出身で、婿に入った時点では将来の首相ではない。有望な官僚を娘の婿に取るという選び方が、結果として二人の首相を生んだ。
右の根が大久保利通である。維新の中心にいて、内務卿として新政府の骨格を作った。暗殺されたあと、子の牧野伸顕が外交官から宮内大臣、内大臣へ進む。
牧野の娘の雪子が吉田茂に嫁いだ。吉田もまた外務省の官僚である。二人の娘の和子が麻生太賀吉に嫁ぎ、その子が麻生太郎になる。
図をたどると、麻生太郎は大久保利通の玄孫にあたる。維新から百年以上を、婚姻の線がつないでいる。
二つの根に共通するのが、外務省の官僚が婿になっている点である。加藤高明、幣原喜重郎、吉田茂の三人がそれにあたる。
明治のあと、家柄だけでは上に行けなくなった。試験に受かって官庁に入ることが道になる。有力な家は、その道を通ってきた優秀な男を娘の婿に迎えた。家は資本と人脈を出し、婿は能力と将来を出す。取引として釣り合っている。
蘇我氏や藤原氏は娘を天皇に入れた。近代の家は娘を官僚に入れた。相手が変わっただけで、娘を通じて力を引き寄せる形そのものは変わっていない。
弥太郎の子の久弥は三菱の三代目社長となり、弥太郎の弟の弥之助の子の小弥太が四代目を継いだ。兄と弟の家で社長の座を交互に回す形になっている。
事業の継承を兄弟の二家で分け持つやり方は、摂関を五家で回した五摂家や、将軍の候補を御三家で持った徳川と発想が近い。一つの家に賭けず、複数の枝で受ける。近代の企業でも、家の論理はそのまま使われていた。
図に描いたのは弥太郎の子までである。そこから下へ線が伸びずに、横へ嫁いだ娘の側だけが政治につながっているところに、この家の閨閥としての働き方が出ている。
三井家は江戸からの豪商で、明治には政商として井上馨らと深く結びついた。ただしこちらは婚姻よりも、事業と資金の関係が中心である。
閨閥は、どの家でも同じように働くわけではない。三菱が一代で興った家だったのに対し、三井はすでに二百年の家だった。新しく力を得た家のほうが、婚姻で外と結ぶ必要が強い。家の古さと閨閥の使い方には、そういう関係がある。
戦後、財閥は解体され、岩崎家も三井家も企業の支配から切り離された。閨閥そのものも、戦前ほどの意味を持たなくなる。
それでも麻生太郎が首相になったように、線は残った。企業の支配は法で解けても、家と家の縁は解けない。図の縦の線は、制度の大きな変更をまたいで続いている。
この図に描いたのは十数人だけである。近代の閨閥は実際にはもっと広く、華族、官僚、財閥のあいだに網の目のように張られていた。
一枚の家系図に描けるのは、その網の一部を切り取った線でしかない。ただ、二本の根と十数人で首相が四人つながる。それだけでも、この網の密度は伝わる。
戦後の政治家の血統を別に扱った記事があるが、そちらの図と、この図の右の根は同じ吉田茂でつながっている。二枚を並べると、大久保利通から麻生太郎まで一本の線になる。家系図は一枚で完結する必要はなく、重なるところで継いでいける。
閨閥という言葉には、裏で結びついているという含みがある。ただ図に描いてみると、そこにあるのはごく普通の婚姻の連なりである。有力な家が有望な相手を選び、その子がまた同じように選ぶ。一つひとつは当たり前の判断で、それが四代重なると、維新の功臣から戦後の首相までが一本の線になる。特別なことをしなくても線は伸びる。伸びた線が何を運ぶかだけが、時代によって違っている。摂関家は位を運び、武家は所領を運び、近代の家は資本と人脈を運んだ。運ぶものが替わっても、線の形は同じままである。図を見ているかぎり、千三百年前の蘇我氏と、百年前の岩崎家は、ほとんど同じことをしている。