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豊臣の血:秀吉・秀長・秀次・秀頼

豊臣秀吉は一代で天下を取ったが、豊臣という家は一代しかもたなかった。理由の大半は血縁の薄さにある。織田信長には十人を超える兄弟がおり、徳川家康には十一人の子がいた。秀吉の同腹の兄弟は三人しかいない。系図を引くと、豊臣政権が誰を使い、誰を失って崩れたのかがそのまま見える。

兄弟が三人しかいない

秀吉の母が大政所である。その子は四人。姉のとも、秀吉、弟の豊臣秀長、妹の旭姫である。

大名の家は、一門を各地に置いて領国を押さえる。信長は弟や従兄弟を城に入れ、家康は子を御三家の元へ配した。秀吉にはその材料がない。使える血縁が、弟一人と姉一人と妹一人しかなかった。

旭姫は四十代で夫と離縁させられ、徳川家康の継室として送られた。小牧・長久手のあと家康を臣従させるための婚姻である。血縁が少ない家では、一人ひとりの使い道が重くなる。

母まで差し出す

一五八六年、秀吉は母の大政所を岡崎へ送った。徳川家康を上洛させるための人質である。妹をすでに家康の妻として送っており、それでも動かないので母まで出した。

天下人が実母を人質に出すのは異例である。だがこれも血縁の薄さの表れだった。差し出して重みのある一門が、母と妹しかいなかったのである。信長や家康であれば、弟や子を出せば済んだ。

秀長という支え

唯一の弟の秀長は、大和・和泉・紀伊に百万石を超える領地を持ち、政権の調整役をつとめた。諸大名の言い分を聞き、秀吉との間を取り持つ役である。

一五九一年に秀長が没した。豊臣政権の内側で、秀吉に率直にものが言える者がいなくなる。この年は、秀吉の実子の鶴松が三歳で死んだ年でもある。

甥を三人使う

血の近い男子が足りないので、秀吉は姉の子を使った。ともの生んだ豊臣秀次豊臣秀勝豊臣秀保の三人である。

秀次は近江八幡、秀勝は丹波亀山を与えられた。秀勝は浅井三姉妹の末のを娶っている。秀保は子のない秀長の養子に入り、大和の家を継いだ。三人とも、一門の枝を作るために配られたことになる。

足りない分は養子と猶子で補った。宇喜多秀家、北政所の甥の小早川秀秋、家康の子の結城秀康。血ではなく名を配って一門らしきものを組み立てている。

実子が生まれる

鶴松を失った一五九一年、秀吉は関白の職と豊臣の家督を秀次へ譲った。実子がいない以上、甥に継がせるのが筋だった。

ところが一五九三年、淀殿が豊臣秀頼を生んだ。家督はすでに甥にある。

一五九五年、秀次は謀反の嫌疑をかけられて高野山で切腹させられた。妻子三十人あまりが三条河原で処刑されている。同じ年に秀保も十七歳で没した。秀勝はすでに一五九二年、朝鮮で病死している。

ともの生んだ三人の男子が、二年のうちにすべて消えた。血の近い一門を作るために配った枝を、秀吉自身が刈り取ったことになる。

秀次を消したあと

事件のあと、秀吉は秀次の居城だった聚楽第を破却させた。関白の座は空いたままになり、豊臣家の家督は幼い秀頼に移される。

これで、政務を執れる豊臣の一門が一人もいなくなった。秀長は四年前に死に、秀次の一族は消え、秀保も没している。残る血縁は、姉のともと、他家へ嫁いだ女たちだけである。

秀吉は晩年、五大老と五奉行を置き、諸大名に起請文を書かせて秀頼への忠誠を繰り返し誓わせた。制度と文書で補おうとしたわけだが、家の中に人がいないという事実は変わらない。

残ったのは幼児一人

一五九八年に秀吉が没したとき、豊臣の男子は六歳の秀頼だけだった。

五大老と五奉行の合議は、この状態への手当てである。家の中に政務を代われる者がいないから、外の大名に預けた。徳川家康が主導権を取ったのは、預かる側で最も力があったからにすぎない。

一六〇〇年の関ヶ原で豊臣家は摂津・河内・和泉の一大名になり、一六一五年の大坂夏の陣で滅んだ。秀頼は自害し、子の国松は八歳で処刑された。娘は鎌倉の東慶寺へ入っている。

備えの枝がなかった

徳川家康は、宗家が絶えたときのために御三家を置いた。実際に宗家は七代で絶え、紀州から吉宗が入って続いた。備えの枝があったから家が続いたのである。

秀吉には最初から備えの枝がない。だから甥を大名に立て、養子を配り、人為的に一門を作ろうとした。そこまでは筋が通っている。狂ったのは、実子が生まれたあとに、その備えを自分で消したことである。

甥を消したこと自体は、幼い秀頼のまわりに競合を残さないための判断である。同じ判断は武家の世で繰り返された。徳川家光が弟の忠長を除いたのがそれにあたる。ただし家光には、忠長を除いても御三家という別の備えが残っていた。秀吉にはそれがない。

秀次を殺さなければ、大坂の陣のときに豊臣の一門大名がいくつか残っていた。血が薄い家は、薄いなりに枝を残しておくしかない。一代で天下を取った家が一代で終わったのは、時間が足りなかったからだけではなかった。