共和政のローマには王がない。それでも系図は重要であった。執政官を出した家の子は執政官になりやすく、家の名がそのまま選挙の資格に近い意味を持った。この家柄の壁を、ローマの名門は婚姻と養子縁組で組み替えていった。
共和政の官職は選挙で決まる。ただし立候補できる財産と人脈を持つのは限られた家であった。執政官を出した家の子孫をノビレスと呼ぶ。コルネリウス、クラウディウス、アエミリウス、ファビウス、カエキリウスといった氏族が、代々の執政官を出し続けた。
家柄のない者が最高位まで上がることもある。新人と呼ばれた。マリウスもキケロもこの立場である。ただし新人は、上がる途中で必ず名門との縁を必要とした。
もっとも分かりやすい例が、ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスの家である。娘のコルネリアは、平民出身ながら執政官に上ったセンプロニウス・グラックスに嫁いだ。
コルネリアは十二人を産み、育ったのは三人である。ティベリウス、ガイウス、そしてセンプロニアである。夫の死後は再婚せず、エジプト王からの求婚も断り、子の教育に専念した。宝石を見せてほしいと言われて二人の息子を指した、という逸話が伝わる。
この二人の息子が、のちに土地の再分配を掲げて元老院と衝突するグラックス兄弟である。名門スキピオ家の血を引き、平民の側に立つという位置は、母から受けた家系図がそのまま与えたものであった。
ローマの名門には、家の名を絶やさないための仕組みがあった。成人した男子を他家から養子に取るのである。血よりも家の名と祭祀を続けることが重んじられた。
スキピオ・アフリカヌスの子プブリウスは体が弱く、子を残せなかった。そこで養子に迎えたのが、マケドニアを破ったアエミリウス・パウルスの子である。この人がスキピオ・アエミリアヌス、のちにカルタゴを滅ぼす将軍になる。
アエミリアヌスは血の上ではアエミリウス家の人であり、名の上ではスキピオ家の人であった。実の兄はファビウス家へ養子に出ている。パウルスは二人の息子を二つの名門へ送り込み、自分の家の名は別の子に継がせたことになる。
そのアエミリアヌスは、コルネリアの娘センプロニアを妻とした。つまりグラックス兄弟の義兄である。
前一三三年、兄ティベリウス・グラックスが護民官として土地法を通し、元老院側に撲殺された。アエミリアヌスは、この義弟の死をむしろ当然としたと伝えられる。家の縁があっても、政治の立場は別であった。
そのアエミリアヌス自身、前一二九年に自宅で不審な死を遂げる。妻の一族の手によるという噂も流れた。婚姻でつないだ同盟が、そのまま殺し合いの相手になるということである。
家柄のない者が上がるときには、名門の娘が必要になった。マリウスは、由緒は古いがこのころ落ちぶれていたユリウス家のユリアを娶った。この結婚が、平民出身の軍人に古い家の後光を与えた。
ユリアの弟の子がカエサルである。カエサルは少年のころ、マリウスの姻族として政界の一方に位置づけられていた。スッラの側から命を狙われたのも、この縁のためである。
のちにカエサルは娘のユリアをポンペイウスに嫁がせ、三頭の同盟を血で固めた。そのユリアが出産で死ぬと、二人をつなぐものはなくなり、内戦へ向かう。
ローマの政治家は、演説でも葬儀でも祖先を並べた。名門の葬列では、先祖の肖像の仮面を着けた者が行列を組んで歩いた。誰の子であり、誰と縁を結んでいるかが、その人の信用そのものであった。
だからこそ、養子縁組が政治の道具になる。カエサルが甥の孫にあたるオクタウィアヌスを遺言で養子としたことは、共和政の最後にこの仕組みが果たした最大の仕事である。オクタウィアヌスはカエサルの名を得て、その名で兵と民の支持を集めた。
共和政ローマの名門の系図は、縦の線よりも横の線が濃い。娘が他家へ嫁ぎ、息子が他家の養子になり、その相手の家からまた娘が来る。数世代たつと、主要な家はどこも互いに縁者になっている。
それは政治の同盟の図でもあり、内戦の相手の図でもあった。前一世紀の内乱で殺し合った人々は、たいてい系図の上でどこかつながっている。狭い層のなかで縁を組み替え続けた結果である。
血よりも名を継ぐという考え方は、帝政に入ってからも続いた。アウグストゥスからネロまでの五代が養子と再婚でつながっているのも、この共和政の習わしの延長である。
ローマ人の名は三つから成る。個人名、氏族名、家族名である。養子に入ればこの並びが変わり、もとの家の名は末尾に形を変えて残った。スキピオ・アエミリアヌスの名に残るアエミリウスは、実の父の氏族を示している。
つまりローマ人の名は、それ自体が短い系図であった。誰の家に生まれ、誰の家に入ったかが、呼ばれるたびに読み上げられる。オクタウィアヌスがカエサルの名を名乗ったことが政治的に決定的だったのは、名を聞いた人がそこに系図を読んだからである。