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四親王家:光格天皇を出した予備の枝

徳川に御三家と御三卿があったように、皇室にも予備の枝があった。世襲親王家である。伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮の四つで、四親王家と呼ばれる。本家の皇統が絶えたときに継ぐための備えであり、実際に二度働いた。二度めに働いたのが閑院宮で、いまの皇室はその系統である。

親王は一代で終わるはずだった

古代の制度では、天皇の子は親王だが、その子は王になり、代を重ねると臣籍へ降りる。源氏や平氏はそうして生まれた家である。皇族の枠を狭く保つことで、皇位を争う者を増やさない仕組みだった。

代々親王を名のり続ける宮家は、この原則の例外として中世に生まれた。天皇の子でなくても親王宣下を受け、家として続く。皇統の予備を、制度としてあらかじめ置いておく発想である。

伏見宮 — 最初の世襲宮家

南北朝が合一したあと、北朝の崇光天皇の系統は皇位から外れた。その子の伏見宮栄仁親王の家が、伏見宮として続く。四親王家でもっとも古い。

一四二八年、称光天皇が子のないまま没した。迎えられたのが伏見宮貞成親王の子で、後花園天皇として即位した。分かれてから三代あとに、分家が本家を継いだ形である。

桂宮と有栖川宮

残る二つは戦国の終わりから江戸の初めにかけて立てられた。一五九〇年、正親町天皇の孫の智仁親王に八条宮、のちの桂宮が与えられた。桂離宮を営んだ家である。一六二五年には、後陽成天皇の子の好仁親王に高松宮、のちの有栖川宮が立てられた。

いずれも幕府が所領を与えて支えている。皇統の備えを維持する費用を、武家政権が負担していたことになる。

皇子の行き先でもあった

世襲親王家は皇統の備えであると同時に、皇子の行き先でもあった。位を継がない皇子は寺へ入るか宮家を継ぐかで、いずれにせよ臣籍へ降りずに済む。

江戸の朝廷は所領が乏しく、皇子を何人も養えなかった。門跡寺院と四つの宮家が、位に就かない皇子を引き受ける器として働いている。備えの枝は、置いておくだけのものではなく、常に使われている器でもあった。

閑院宮 — 幕府が作らせた備え

四つめの閑院宮直仁親王の家は、一七一〇年に新井白石の建議で立てられた。東山天皇の子を当主とし、幕府が所領を出している。

理由は単純である。宮家が少なければ、皇統が絶えたときに継ぐ者がいなくなる。当時の宮家は三つしかなく、いずれも皇統から遠ざかりつつあった。徳川が御三家を置いたのと同じ考え方を、白石は皇室にも当てはめた。

六十九年後に働いた

一七七九年、後桃園天皇が二十二歳で急死した。男子がない。

迎えられたのが、閑院宮二代の典仁親王の子である。九歳で即位して光格天皇となった。閑院宮が立てられてから六十九年、備えがはじめて使われた。

血の隔たりは大きい。後桃園と光格は、系図の上で七親等離れている。共通の祖先までさかのぼるには東山天皇まで戻らなければならない。それでも男系でたどれることが資格だった。

婚姻で縫い直す

光格は、後桃園の娘の欣子内親王を中宮に迎えた。血の遠い者が入るときに、本家の娘と結んで距離を詰めるやり方である。徳川吉宗が紀州から宗家に入ったときにも、同じ手当てが考えられている。

図では欣子内親王を後桃園の枝に置いた。婚姻の線は引いていないが、この結婚によって二つの枝は結び直されている。ただし次代の仁孝天皇の母は欣子ではなく、女官の勧修寺婧子である。

尊号一件

光格には、宮家から入った天皇に特有の問題があった。実父の典仁親王が天皇ではないことである。

一七八九年、光格は父に太上天皇の尊号を贈ろうとした。老中の松平定信は先例がないとして拒み、四年の争いのすえ朝廷が引いている。尊号一件と呼ばれるこの事件は、幕府が朝廷の人事に踏み込んだ例として記憶され、のちの尊王論の火種になった。

備えの枝から天皇を出すということは、天皇の父が天皇でない状態を作るということでもあった。

いまも続く枝

現在の皇室は光格天皇の子孫であり、つまり閑院宮の系統である。仁孝天皇孝明天皇と続き、明治以降へつながる。

四つの備えのうち、桂宮は明治のはじめに、有栖川宮は大正のはじめに男子が絶えた。伏見宮の系統は多くの分家を生み、一九四七年に皇籍を離れた十一の宮家はすべてこの流れである。備えとして残された枝が、最後に一斉に外された形になる。

予備の枝という考え方

御三家・御三卿と四親王家は、同じ目的を持ちながら作り方が違う。徳川は将軍家の子から新しい枝を作り続けた。だから宗家との血は近い。宮家は数百年前に分かれた枝を保存し続けた。だから血は遠い。

遠くても男系でたどれれば資格になる。この考え方は新しいものではない。記紀が武烈天皇のあとに応神天皇の五世孫を迎えて継体天皇としたのと、理屈はまったく同じである。閑院宮という備えは、その古い理屈を制度として先に用意しておいたものだった。