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ウマイヤ朝:同じ一族の二つの枝が分かれた

イスラム世界の最初の百年を動かしたのは、一つの家系図の分かれ目である。預言者ムハンマドの家と、のちにカリフの位を継いだウマイヤ家は、同じクライシュ族の別々の枝であった。共通の先祖から二代下で分かれた、いとこ同士のような関係である。

男子の跡継ぎがない

ムハンマドには複数の男子が生まれたが、みな幼くして亡くなった。六三二年に没したとき、残っていたのは娘たちである。誰が共同体を導くかについて、明確な指名も、決まった仕組みもなかった。

選ばれたのは、最初の信者の一人で妻の父にあたるアブー・バクルであった。次にウマル、次にウスマーン、次にアリーと続く。この四人を正統カリフと呼ぶ。

注目すべきは、三人目のウスマーンがウマイヤ家の人であり、四人目のアリーがムハンマドのいとこであり、かつ娘ファーティマの夫であったことである。ここで二つの枝が、同じ位を交互に握った。

二つの枝

クライシュ族の系図をさかのぼると、アブド・マナーフという先祖に行き着く。その子のハーシムの家からムハンマドが出た。もう一人の子のアブド・シャムスの家からウマイヤが出て、その子孫がウマイヤ家である。

メッカにいたころ、ウマイヤ家はムハンマドの教えに最も強く反対した側であった。アブー・スフヤーンは長く敵として戦い、メッカの降伏の際に改宗している。改宗が遅かった家が、三十年後にはカリフの位を握ることになる。

シッフィーンの戦い

六五六年、ウスマーンが不満を抱いた者たちに殺された。跡を継いだアリーは、この事件の処理をめぐってシリア総督ムアーウィヤと対立する。ムアーウィヤはウスマーンのいとこにあたり、その血の報復を掲げた。

六五七年、シッフィーンで両軍が対峙した。決着はつかず、調停に持ち込まれる。この調停に反発した一派がアリーの陣営から離れ、のちにアリーを暗殺した。六六一年、ムアーウィヤがカリフとなる。

選ぶから継ぐへ

ムアーウィヤがしたことのうち、最も大きな変更は継承の形である。生前に子のヤズィードを跡継ぎと定め、各地の有力者から忠誠の誓いを取り付けた。カリフの位が、共同体が選ぶものから、家が継ぐものになった。

これに対する反発は強かった。預言者の共同体の指導者を、王のように親から子へ渡すのかという批判である。ウマイヤ朝が正統な四人と区別され、王朝と見られるようになったのは、この一点による。

カルバラー

六八〇年にムアーウィヤが没し、ヤズィードが継いだ。これを認めなかったのが、アリーとファーティマの子フサインである。ムハンマドの孫にあたる人である。

フサインは家族と少数の従者を連れてクーファへ向かい、途中のカルバラーで大軍に囲まれた。水を断たれ、戦って一族もろとも殺された。

この日は、預言者の血を引く者が、預言者に最も強く反対した家の子孫に殺された日である。アリーの家に従う人々の悲しみと憤りは、この一日を軸に定まった。シーア派が独立した流れとして形をとる出発点になる。

家の内側でも分かれる

ウマイヤ朝そのものも一本ではなかった。ムアーウィヤの家系(スフヤーン家)は三代で絶え、同じウマイヤ家の別の枝からマルワーン一世が立った。その子アブド・アルマリクが国の形を整え、貨幣を発行し、アラビア語を行政の言語とした。

王朝は西はイベリア半島、東は中央アジアまで広がった。ただしアラブの部族どうしの対立、征服地の人々への課税の不公平、そしてアリーの家を担ぐ人々の不満が積み重なっていった。

一族が消える

七五〇年、ムハンマドの叔父の子孫を掲げるアッバース家が革命を起こした。ウマイヤ家の人々は捕らえられて殺され、墓まで掘り返された。招かれた宴の席で一族をまとめて殺したという話も伝わる。

ただし一人が逃れた。アブド・アッラフマーンである。五年をかけて北アフリカを横断し、七五六年、イベリア半島のコルドバで政権を立てた。後ウマイヤ朝である。

東で滅ぼされた家が、地中海の反対側で三百年続いた。系図の一本の枝が生き延びると、それは別の場所で別の歴史を作る。

家系図で見ると

この時代の系図は、上のほうで一度だけ分かれる形をしている。分かれ目はアブド・マナーフの二人の子である。そこから下は、二本の線が並んで下りていく。

イスラム世界の最初の分裂も、その後のシーア派とスンナ派の別も、この分かれ目に置くことができる。近い親族であるからこそ、どちらにも正統を主張する根拠があった。まったく無縁の二つの家が争ったのではなく、いとこ同士が同じ祖先を持ち出して争ったことになる。

娘の子という位置

アラブの慣習では、家の系統は父の側でたどる。娘が産んだ子は、母の家ではなく夫の家に属する。この点が、アリーの家の立場を微妙なものにした。

ハサンとフサインは、母を通せば預言者の孫である。だが父の側をたどれば、アブー・ターリブの家の者である。父系で数える社会で、娘の血をどう扱うかという問いが、そのまま指導者を誰にするかという問いになった。

シーア派がアリーとその子孫を正統とするのは、この娘の血を重く見る立場である。ウマイヤ家が父系のクライシュ族の長老の理屈で位を取ったのは、その逆の立場である。同じ系図を見て、どの線をたどるかが分かれた。