戦後の首相の名を並べると、姓の違う人物が近い血縁でつながっていることがある。吉田茂と麻生太郎、岸信介と安倍晋三、そして岸信介と佐藤栄作。この六人は二つの図に収まってしまう。図の根が二本なのは、二つの家しか要らないからである。
まず驚かれるのがここである。岸信介と佐藤栄作は実の兄弟で、父は佐藤秀助である。信介が岸家へ養子に入って姓が変わった。兄弟がそれぞれ首相になった例は、日本ではこの二人だけである。
図の左の根を佐藤秀助にしてあるのは、この兄弟を同じ枝に置くためである。姓で見れば別の家、血で見れば同じ家という状態が、この一族の全体に当てはまる。家の名は移るが、線は切れない。
岸信介の娘の安倍洋子が、安倍晋太郎に嫁いだ。晋太郎は外相を務めたが、首相になる前に没している。その子が安倍晋三である。
安倍晋三から見ると、岸信介は母方の祖父にあたる。安倍家の側の祖父の安倍寛も衆議院議員で、父方と母方の両方が政治家の家だった。晋三の弟は岸家へ養子に入り、岸信夫として議員になっている。
名字が家を移り、家が名字を残す。養子で姓を動かすやり方は、飛鳥の蘇我氏が基経を良房の養子にした頃から変わっていない。
右の根が吉田茂である。吉田の娘の麻生和子が実業家の麻生太賀吉に嫁ぎ、その子が麻生太郎になる。麻生から見て吉田茂は母方の祖父で、安倍と岸の関係とまったく同じ形をしている。
さらに麻生太郎の妻は、首相を務めた鈴木善幸の娘である。首相の孫が、別の首相の娘と結婚したことになる。図には妻の側の根を置いていないが、線を足せば二つの図はつながる。
この一族の広がり方は、政治の力が縦に伝わるだけでなく、横にも結ばれることを示している。娘が別の政治家の家へ嫁ぎ、そこで生まれた子が地盤を継ぐ。
型としては、蘇我氏や藤原氏の外戚政治と変わらない。違うのは、継がれるのが位ではなく、選挙の地盤と後援会だという点である。選挙は本来だれでも出られる仕組みだが、地盤と看板と鞄が家に属していれば、結果として血縁が続く。
世襲が起きる理由は、血が優れているからではない。選挙に必要なものが、個人ではなく家に貯まるからである。後援会の名簿、地元の付き合い、名前の通り。これらは相続できる。
家系図で見ると、そのことがはっきりする。図の縦の線は血のつながりだが、実際に受け渡されているのは票を集める仕組みのほうである。血の線を借りて、別のものが動いている。摂関家が娘を入れ、北条氏が執権の職を継いだのと、道具が違うだけで構造は同じである。
佐藤栄作の子の佐藤信二も衆議院議員で、通産相と運輸相を務めた。図の左の枝は、岸の側と佐藤の側の両方が次の代へ続いている。
岸信介の長男の岸信和は議員にならなかったが、その家に安倍晋三の弟が養子として入り、岸の名を継いだ。家を絶やさないために養子を入れる形は、武家でも公家でも繰り返されてきたやり方である。名を残す仕組みは、時代が変わっても同じものが使われている。
安倍晋三は三代目にあたる。祖父の岸信介と安倍寛、父の安倍晋太郎、そして本人である。麻生太郎も、祖父が吉田茂で、麻生の家は曽祖父の代から炭鉱経営で地元に基盤を持っていた。
一代で築いた地盤は一代で消えることが多い。三代続くと、地元での名前の通り方が変わる。誰の孫かで説明が済むようになり、説明の要らない候補になる。系図が選挙の資産として働くのは、この段階からである。
念のために書いておくと、世襲であることは無能であることを意味しない。岸信介も佐藤栄作も安倍晋三も、それぞれ長く政権を担った。ただ、同じ能力を持つ人が家の外に何人いても、地盤を持たなければ同じ位置には立てない。系図が示すのは能力の分布ではなく、機会の分布である。
最後に、この図が示さないことにも触れておく。戦後の首相の多くは世襲ではない。田中角栄も、池田勇人も、中曽根康弘も、この図には出てこない。
世襲の家が目立つのは、続くからである。続かなかった人は図に残らない。系図は残ったものだけを見せる道具なので、そこに写らない人のほうが多い。記紀が神代から一本の線を引いたときも、切れた枝は書かれなかった。
図を読むときは、線の上にある名前と同じくらい、そこにない名前を意識したほうがよい。
この図に描いた十三人は、戦後の政治のごく一部でしかない。それでも三人の首相と、二つの家と、一つの婚姻でつながる範囲がこれだけあるということは、押さえておく価値がある。血縁は政治の全部を説明しないが、説明の要る部分を確実に含んでいる。