記事

メロヴィング朝:王国を私財として分けた家

メロヴィング朝のフランク王国では、王が死ぬと国が息子の数だけ分けられた。国を公のものではなく、家の財産と見ていたからである。この一つの習わしが、二百五十年にわたって分割と兄弟殺しと再統合をくり返させ、最後には王を名だけの存在にした。

クロヴィスの統一

メロヴィング家は、五世紀のフランク人の族長キルデリク一世のころから記録に現れる。その子クロヴィス一世は、四八一年に十五歳ほどで立ち、ガリアに残っていたローマの勢力を破り、アラマンニ人を退け、五〇七年にヴイエで西ゴート族を破って南へ広げた。

クロヴィスはブルグント王家の娘クロティルドを妻とした。カトリックであった妻の勧めで、ランスで洗礼を受けたと伝えられる。ゲルマンの王がアリウス派ではなくカトリックを選んだことは、のちのフランク王国とローマ教会の関係を決めた。

四つに分けた

五一一年にクロヴィスが没すると、王国は四人の息子に分けられた。テウデリク一世、クロドミール、キルデベルト一世、クロタール一世である。都はランス、オルレアン、パリ、ソワソンに置かれた。

分けたのは、王国を父の遺産と考えていたからである。土地も民も、息子たちが等しく相続する財である。ローマ帝国のような、王とは別に国という枠があるという考え方を、この家は持たなかった。

甥を殺す

分割はすぐに争いになる。五二四年にクロドミールが戦死すると、その三人の子が残された。キルデベルトとクロタールはこの甥たちを引き取ると称し、祖母クロティルドの前から連れ出して二人を刺し殺した。三人目のクロドアルドは髪を切って修道士となり、命を保った。

フランクの王は髪を長く伸ばすものとされていた。髪を切れば王位を望まないという意思表示になる。以後、この家では敵を殺す代わりに剃髪させることがくり返される。

クロタール一世は兄たちの死をへて、五五八年に王国全体を一人で治めた。ところが五六一年に本人が没すると、また四人の息子に分けられた。

二人の王妃

二度目の分割から、争いは王妃の代理戦争になる。シギベルト一世は西ゴートの王女ブルンヒルドを娶り、その姉は弟のキルペリク一世に嫁いだ。ところがキルペリクは愛妾フレデグンドのために妻を殺させる。

これをきっかけに、ブルンヒルドとフレデグンドの争いが四十年続いた。シギベルトは五七五年に暗殺され、キルペリクも五八四年に殺される。最後にブルンヒルドは、フレデグンドの子クロタール二世に捕らえられ、六一三年、馬に繋がれて引き裂かれた。

ダゴベルトのあと

クロタール二世が六一三年に王国を再統合し、その子ダゴベルト一世が六二九年から治めた。自分で政を執った最後の王とされる。

ダゴベルトの死後、王位につくのは幼い子ばかりになった。分割と再統合をくり返すあいだに、王家は殺し合いで人を減らし、残った者も若く、後見に頼るほかなかったからである。実権は各分国の宮宰へ移る。もともとは王家の家政を仕切る役であった。

後世、この時期の王たちは怠惰王と呼ばれた。何もしなかったというより、何かをする立場に置かれなかったのである。

宮宰の家

宮宰の座を握ったのは、のちにカロリング家と呼ばれる一族である。ピピン一世の娘ベッガがアンセギゼルに嫁ぎ、その子ピピン二世が六八七年、テルトリーの戦いで対立する分国を破って全土の宮宰となった。

その子カール・マルテルは七三二年、トゥールとポワティエのあいだでイスラム軍を退けた。王を立てないまま数年間統治した時期もある。実力は完全に宮宰の側にあり、王は形式として置かれていた。

髪を切られた最後の王

七五一年、カール・マルテルの子ピピン三世は教皇に問いを送った。実権を持たない者が王であり続けるのは正しいかという問いである。教皇は実権を持つ者が王であるべきと答えた。

ピピンは最後の王キルデリク三世を廃し、髪を切って修道院へ送った。二百五十年前にクロドアルドがされたのと同じ扱いである。ピピン三世が王となり、カロリング朝が始まる。

習わしは残った

メロヴィング家は消えたが、王国を息子たちで分ける習わしは残った。カール大帝の孫たちが八四三年のヴェルダン条約で帝国を三つに分けたのも、同じ考え方の延長である。

家系図で見ると、メロヴィング朝は幹が何度も枝分かれし、枝どうしが互いを切り落とし、また一本にまとまり、また分かれる図になる。国を家の財産とみなすかぎり、この形からは抜け出せなかった。

長い髪という印

この家の王が髪を伸ばしたことには、意味があった。長い髪はメロヴィング家の血の印であり、王たる資格そのものと見られていた。だから王位を争う相手を殺さずに済ませるとき、髪を切って修道院へ入れた。血は消えないが、印は消える。

家系図で人を消す方法が、殺すことと剃ることの二つあった家だといえる。クロドミールの遺児クロドアルドは剃られて生き延び、最後の王キルデリク三世も剃られて退いた。二百五十年をへだてた二つの剃髪が、この王朝の始まりの争いと終わりを結んでいる。