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一〇六六年の三人の主張者:血縁で王位を争った

一〇六六年、イングランドの王位を三人が主張した。血縁の近さで並べると、三人とも一番ではない。もっとも近い血を持つ者は、はじめから候補に数えられなかった。誰が継ぐかを決めたのは、この年ばかりは系図ではなかった。

子のいない王

エドワード懺悔王は一〇四二年から一〇六六年まで在位し、妃のエディスとのあいだに子をもうけなかった。信心のためとも、妃の実家であるゴドウィン家を嫌ったためとも言われる。

跡継ぎがいないことは、二十年以上前から誰の目にも明らかだった。そのぶん、候補たちは長い時間をかけて自分の主張を用意していた。

血でもっとも近い者

エドガー・アシリングである。エゼルレッド二世からエドマンド剛勇王エドワード追放公と下った先にいて、エドワード懺悔王の又甥にあたる。血統では文句がない。

ところが一〇六六年に十四歳ほどで、イングランドに地盤も後ろ盾もなかった。父はハンガリーから呼び戻された直後、一〇五七年に死んでいる。

血が一番近くても、支える者がいなければ王にならない。エドガーは候補としてほとんど語られないまま、争いの外に置かれた。

力でもっとも近い者

ハロルドは、ウェセックス伯ゴドウィンの子である。妹のエディスがエドワードの妃なので、王の義兄にあたる。ただし王家の血は引いていない。

ゴドウィン家はイングランド随一の勢力で、ハロルド自身が王国の実務を握っていた。一〇六六年一月五日にエドワードが没すると、翌日には戴冠している。臨終の床で王に指名されたと主張した。

遠い血を主張した者

ノルマンディー公ウィリアム一世は、系図をたどると確かにつながっている。エドワード懺悔王の母エマが、ウィリアムの曾祖父リシャール一世の娘だった。エドワードとウィリアムは又従兄弟にあたる。

ウィリアムはさらに二つを持ち出した。一〇五一年ごろエドワード自身が後継を約束したこと、一〇六四年にハロルドがノルマンディーで自分に忠誠を誓ったことである。どちらもノルマン側の記録にしか残っていない。

なおウィリアムは庶子だった。父ロベール一世の正式な妻の子ではない。当時のノルマンディーでは庶子でも公位を継げたが、王位を争うには弱い出自である。

血縁ですらない者

四人めがノルウェー王ハーラル三世である。イングランド王家との血縁はない。根拠は条約だった。

かつてノルウェー王マグヌスと、デンマーク王でありイングランド王でもあったハーデクヌートが、どちらかが子なく死ねば相手が継ぐと約したという。ハーラルはマグヌスの後継として、その権利を引き継いだと主張した。イングランドは一〇一六年から一〇四二年までデンマーク王家に支配されており、北欧の王が王位を主張することに前例がないわけではない。

一人の女がつないでいた

四つの主張のうち、血縁として意味を持つのは二本しかない。そしてどちらも、エマという一人の女性を通っている。

エマはノルマンディー公リシャール一世の娘で、まずイングランド王エゼルレッド二世に嫁ぎ、エドワード懺悔王を生んだ。エゼルレッドの死後は、イングランドを征服したデンマーク王クヌートと再婚し、ハーデクヌートを生んでいる。二つの王朝の王妃であり、二人の王の母だった。

ノルマンディーの血がイングランド王家へ入ったのは、この結婚からである。エドワードがノルマンディーで育ち、ノルマン人の側近を重んじたのも同じ理由による。ウィリアムの血縁の主張も、ハーラルの根拠となった条約も、たどればこの一人に行き着く。

三週間で決まった

一〇六六年九月二十五日、ハロルドはヨーク近郊のスタンフォード・ブリッジでハーラルを破った。ハーラルは戦死する。

その三日後、ウィリアムが南岸に上陸した。ハロルドは軍を南へ返し、十月十四日、ヘイスティングズで戦って倒れた。十二月二十五日、ウィリアムがウェストミンスターで戴冠する。エドガー・アシリングは一度は王に推されたが、抵抗できずに屈服した。

主張はあとから整えられる

ウィリアムは即位したあと、自分の王位が正しいことを繰り返し示した。エドワードからの約束、ハロルドの誓い、そして血縁である。バイユーのタペストリーは、この筋書きに沿って作られている。

勝ってから系図を整えるのは、この時代に限らない。ヘンリー七世が薔薇戦争のあとにしたことも同じだった。血縁は決定の根拠であると同時に、決定のあとに用意される説明でもある。

支配層が入れ替わる

ノルマン征服がほかの王位争いと違うのは、勝った側が国ごと連れてきたことである。二十年のうちにイングランドの大領主はほぼノルマン人へ入れ替わり、宮廷と法廷の言葉はフランス語になった。

系図の上では、王位が又従兄弟へ渡っただけである。実際には、国の上層が丸ごと差し替わった。誰が継ぐかという問いの答えが、これほど大きな結果を招いた例は少ない。