アレクサンドロス大王が死んだとき、王家に残っていたのは、政を執れない異母兄と、まだ生まれていない子だけだった。世界帝国を残した家は、そこから十四年で消える。
マケドニアの王家はアルゲアス朝といい、ヘラクレスの子孫を称した。ギリシアの都市国家からは半ば異民族と見られていたが、オリュンピア祭への参加は認められている。
この家を強国に変えたのがフィリッポス二世である。軍を密集長槍隊に組み直し、金鉱を押さえ、婚姻と買収を使い分けてギリシアの諸都市を従えた。前三三八年、カイロネイアでアテナイとテバイの連合軍を破り、ギリシアの覇権を握る。
フィリッポスは七人ほどの妻を持った。多くは近隣の勢力と結ぶための婚姻である。エペイロスの王女オリュンピアスが生んだのがアレクサンドロス、テッサリアのフィリンナが生んだのがアリダイオスであった。アリダイオスは幼いころから知能に障りがあったと伝えられる。
前三三七年、フィリッポスはマケドニア貴族の娘クレオパトラを娶った。婚礼の席で、今度こそ正統な世継ぎが生まれるという意味の言葉が出て、アレクサンドロスと父は決裂しかける。母がマケドニアの外から来た人であることが、このとき弱みになった。
翌前三三六年、フィリッポスは娘のクレオパトラとエペイロス王の婚礼の場で、護衛のパウサニアスに刺殺された。背後関係は当時から議論されている。アレクサンドロスは二十歳で即位し、対立しうる親族を排除した。父の新しい妻とその子も、このとき失われている。
アレクサンドロスは十年余りでペルシアを倒し、インダス川まで達した。前三二三年、バビロンで熱を発して没する。三十二歳であった。後継について、はっきりした指示は残していない。最も強い者に、と言い残したという話が伝わるが、これも確かめようがない。
このとき王家に残っていたのは二人である。異母兄のアリダイオスと、バクトリアの豪族の娘ロクサネの腹にいた子だ。将軍たちは折り合いをつけ、アリダイオスをフィリッポス三世として立て、生まれる子が男であればともに王とすることに決めた。生まれたのがアレクサンドロス四世である。
二人の王は、どちらも自分では何も決められない。一人は知能に障りがあり、一人は乳飲み子であった。実権は将軍たち、すなわちディアドコイが握る。
王が形だけの存在になると、その王を手元に置くこと自体が力の源になる。摂政ペルディッカス、アンティパトロス、ポリュペルコン、カッサンドロスと、後見の座は次々に移った。王を擁する者が正統を名乗り、擁されない者がそれを崩しにかかる。ディアドコイ戦争の最初の二十年は、この争奪でできている。
アレクサンドロスの母オリュンピアスも当事者であった。孫のアレクサンドロス四世を守るためにマケドニアへ戻り、対立する王フィリッポス三世とその妻を殺す。翌年には自分がカッサンドロスに捕らえられ、殺された。
王家の人々は、こうして順に消えていく。
これでアルゲアス朝の血は絶えた。アレクサンドロスの死から、わずか十四年である。
王家を滅ぼした側も、王家の血は欲しがった。カッサンドロスはフィリッポス二世の娘テッサロニケを娶り、自分の建てた町にその名をつけている。いまのテッサロニキである。プトレマイオスはクレオパトラを迎えようとして、それが彼女の死を招いた。
前三〇六年から、ディアドコイたちは次々に自ら王を名乗りはじめる。仕えるべき王家がなくなって、はじめて臣下が王になれた。アレクサンドロスの帝国はプトレマイオス朝・セレウコス朝・アンティゴノス朝に分かれ、それぞれ別の王家として続いていく。家系図の上では、一本の家が枝を伸ばしたのではなく、根こそぎ抜かれた跡に別の木が植えられたかたちである。
アレクサンドロスの遺体もまた争いの的になった。バビロンからマケドニアへ運ばれる途中、プトレマイオスがこれを奪ってエジプトへ運び、のちアレクサンドリアに葬っている。王の血を得られない者が、王の亡骸を手に入れたことになる。
ディアドコイたちは自分の子にアレクサンドロスやフィリッポスの名をつけ、貨幣には大王の横顔を刻み続けた。血のつながりが絶えたあとも、その名は正統を示す道具として使われる。家系図から消えた家が、名前としてだけ残り続けたことになる。